【IT】フレデリック・ターマン「シリコンバレーの父」

フレデリック・ターマン / Frederick Terman

シリコンバレーの父


概要


フレデリック・エモンス・ターマン(1900年7月7日-1982年12月19日)はアメリカの学者。“シリコンバレーの父”として知られている。彼が書いた『無線工学』は日本でもよく知られている。

 

ターマンの父親もスタンフォード大学の物理学の教授であり、スタンフォード・ビネー知能テストの発明者として知られている。

 

ターマンは地元のパロ・アルト高等学校を卒業後、スタンフォード大学で電気工学と化学を学ぶ。卒業後、1924年にマサチューセッツ工科大に進み、博士号を修得。マサチューセッツ時代には、高学部長を務めマンハッタン計画の父であったヴァニーヴァ・ブッシュのもとで学ぶ。ブッシュは戦争後のアメリカの科学と工学が進むべき道は、情報処理と検索にあると述べ、ターマンはこのブッシュの方向性をスタンフォード大学で実現していくことになる。

 

1925年にスタンフォード大学に戻ると、工学部の研究メンバーとなる。ターマンの研究室に近い小さな建物に、学生たちのアマチュア無線局があり、ここに出入りする学生のなかにデヴィッド・パッカードとウィリアム・ヒューレットがいた。ターマンは無線局によく立ち寄り、二人と仲良くなった。

 

1933年、ターマンはパッカードを研究室に呼び、無線工学の修士コースに参加させる。大学院の授業に学生部を招くのは異例のことだった。やがてヒューレットも参加する。

 

他にターマンの生徒では、オズワルド・ギャリソン・ヴィラール・ジュニアやラッセル&シグルドバリアンがなどがいる。ターマンは生徒たちに事業を興すことを積極に奨励し、その結果、リットン・インダストリー、バリアン・アソシエイツ、ヒューレット・パッカードが誕生するに至った。1941年にターマンは無線工学部の学長となる。

 

また、ターマンはチャールズ・リットンやカール・シュパンゲンベルクやィリアム・リテルエベリットをスタンフォード大学に呼び、真空管の実験室を共同で設立した。1932年に「無線工学(Radio Engineering)」を出版。これは電子工学において最も重要な本の1つとみなされており、今日でも広く参照されている。

 

第二次世界大戦に突入すると、無線工学を軍事利用するため、ターマンはワシントンに呼ばれることになる。ハーバード大学の無線工学研究室で850人以上のスタッフの指揮をとることになった。この組織は連合国のレーダー妨害装置を開発し、ナチスドイツの空軍の防衛に直接的に大いに効果があった。

 

戦争後、カリフォルニアに戻り、スタンフォード大学の工学部長に就任。産業と大学を強い絆で結ぶ「産学連携」を本格に実行をはじめ、1951年に学内の広大な敷地を「スタンフォード・インダストリアル・パーク」という工業団地として開発する計画を進める。これにより大学はハイテク企業に土地の一部を貸し出す。大学と地元企業の結びつきが確固としたものになった。

バリアン・アソシエイツ、ヒューレット・パッカード、イーストマン・コダック、ジェネラル・エレクトリック、ロックヒード・コーポレーションなどがスタンフォード・インダストリアル・パークに移り、最終的にシリコンバレーとして知られるようになった。