【IT】スティーブ・ジョブズと家族

スティーブ・ジョブズと家族


ローレンス・パウエル・ジョブズ


ローレンス・パウエル・ジョブズ(1963年11月6日生まれ)はアメリカの女性実業家。アップル社前CEOで共同設立者のスティーブ・ジョブズの未亡人現在、カリフォルニア州パロアルトで3人の子どもたちと暮らしている。

 

教育、移民改革、社会正義、環境保護に関する支持する組織「エマーソン・コレクティブ」の創立者、CEO。貧困で恵まれない高校生の大学進学を支援する「カレッジ・トラック」の共同設立者、委員長。

 

ニュージャージー州のウェストミルフォードで生まれ育つ。ペンシルバニア科学芸術大学の政治科学の学士号を取得後、1985年にウォートン・スクールで経済学の学士を取得。1991年にスタンフォード大学経営大学院でMBAを取得。

 

1989年10月にジョブズは「トップからの視点」という講義をスタンフォードビジネススクールで行うが、ローレンス・パウエルは当時MBAの新入生で、その講義の一番前にもぐりで参加、隣に座っていたジョブズと会話を始める。二人はその夜から食事をはじめ2年後の1991年3月18日に婚約。ヨセミテ国立公園のアワニーホテルで結婚式を挙げた。

 

ジョブズとのあいだに、長男リード(1991年)、長女エリン(1995年)、次女エヴァ(1998年)をもうける。

 

2011年10月5日にジョブズが亡くなると、2013年5月にウォルト・ディズニー株やアップル株などのジョブズの資産を受け継ぐ。ローレンス・パウエル・ジョブズ信託を管理し、1億3000万〜1億4000万ドルのウォルド・ディズニー株を所持しており、個人筆頭株主として知られている。2016年にパウエル・ジョブズとその家族は『フォーブス』誌の世界富裕層ランキングで44位にランクインし、現在テクノロジー産業で最もリッチな女性とされている。

アブドゥルファター・ジョン・ジャンダリ


アブドゥルファター・ジョン・ジャンダリ(1931年3月15日生まれ)はスティーブ・ジョブズの実の父親。元妻はジョブズの実の母であるジョアンナ・キャロル・シーブル。

 

ジャンダリはジョブズが生まれる前に姿を消していたので、二人は一度も正式に会ったことはないが、ジャンダリは誕生日にEメールを送ったことがあるという。2015年84歳時、彼はネバダ州のレノ郊外にあるカジノで副社長として現役で働いており、特に定年退職をする予定はないという。

 

ジャンダリはシリアのホムスの裕福な地主の家庭で生まれた。父は一代で億万長者になった実業家。母は伝統的なムスリム女性の専業主婦で、父との間にジェンダイを含め5人の子どもをもうけている。非常に従順で保守的な母親だったという。

 

弁護士になろうとシリアのダマスカス大学への入学を希望するも、父親に「シリアには弁護士が多すぎる」という理由で反対される。その後、18歳のときにシリアを出て、レバノンのベイルート・アメリカン大学へ入学。ジャンダリはベイルート時代について「人生で1番良い時期を過ごした場所」と話している。大学時代にアラブ主義活動家となり、アルジェリア独立運動のデモに参加して、3日間刑務所で過ごしたこともあった。

 

1952年から54年のデモ活動がきっかけで、ジェンダイは強制的にベイルートから追われる身となりアメリカへ渡る。コロンビア大学とウェスコシン大学に入学し、経済学と政治科学の学位を取得。ウェスコシン大学ではジョブズの実の母親であるジョアンナ・キャロル・シーブルと出会う。当時、ジェンダイは講師でジョアンナは生徒という関係だった。

 

二人の間に子どもができたため、当初は結婚する予定だったが、ジェンダイがシリア移民でムスリムだっために、保守的なカトリック家庭のジョアンナの父が強く結婚に反対。結婚を諦め、1955年にジョブズが私生児として生まれると、養子としてポール・ジョブズの元へ預けることになった。

 

しかし数カ月後に、ジョアンナの父が亡くなったため、結局ジェンダイとジョアンナは結婚。「もし数ヶ月ずれていたら、スティーブは自分たちで育てていたでしょう。」とジェンダイは話している。

 

結婚してから数年後に、ジョブズの実の妹にあたるモナ・シンプソンを出産。ジョブズと妹モナが初めてあったのはモナが27歳のときだった。しかし、ジェンダイ一家はその後、経済的問題でシリアに戻ることになる、ジェンダイはホムスの石油精油所のディレクターとして数年間働く。

 

その後、ジェンダイとジョアンナは離婚。ジョアンナはモナを連れてアメリカへ戻り、アメリカ人と再婚して姓をシンプソンに変更する。モナも名前はモナ・シンプソンとなった。1962年にジェンダイもアメリカへ戻ることになるが、ジョアンナとは連絡をとることになかった。

 

アメリカに戻ったジェンダイは、ミシガン大学やネバダ大学で教授補助職に就く。退職後、サンフランシスコでレストランを買収して経営を始める。この頃に、ジェンダイがサンフランシスコで経営していたレストランにジョブズが来て、1度か2度、無意識に会っていた可能性もあるという。両方とも親子関係にあるということは当然知らなかったが、妹のモナによれば、ジョブズが立ち寄ったシリア移民が経営しているレストランとは父親の店だという。

 

その後、ジェンダイはラスベガスに勤務。84歳の現在、ネバダ州のレノ郊外にあるカジノで副社長として現役で働いている。

 

ジェンダイはムスリム文化で育っているものの非ムスリムであり、また人種的にも中東系ではないため、アメリカ社会において差別されることなく生活しているという。周囲の人はシリアからの移民ではなく、ほかの州から引っ越してきた人と勘違いしているようである。