冷戦11「ベトナム戦争3 熱帯ジャングル戦」

枯葉剤の空中散布



「トンキン湾事件」にもとづき、アメリカ軍は、北ベトナムへの爆撃を開始します。北ベトナムへの爆撃は略して「北爆」と呼ばれました。


 アメリカは、軍需工場や燃料の集積施設をねらいました。北ベトナムは「分散」の思想で対抗しました。燃料を一ヶ所に集積すると、そこが爆撃されれば、大損害を受けます。そこで、道路や空き地など、いたる所に、燃料を入れたドラム缶を並べたのです。これなら、ごく一部が被害を受けることはあっても、ほとんど無傷ですみます。それに施設はいりません。

 

 また、軍需工場といっても、戦車や高射砲などの大砲、対空ミサイルは、ソ連や中国から送られてきましたから、自国で生産しているわけではありません。北爆で住民には大きな被害が出ましたが、工業力には、大した被害が出なかったのです。

 

 北ベトナムは、北爆をきっかけに、南で戦う解放戦線への支援を強化することになります。これ以降、南ベトナム民族解放戦線は、北ベトナムからの膨大な支援を受けて、戦力を強化しました。さらに、北ベトナムの正規軍がひそかに南下して、解放戦線に合流します。主導権は次第に北ベトナムに移っていきます。

 

 北ベトナムから南の解放戦線へ軍事物資を運ぶルートは、当時の北ベトナムの指導者の名前をとって「ホー・チ・ミン・ルート」と呼ばれました。北ベトナムの輸送部隊は、いったんラオス国内に入り、険しい尾根伝いに南下して、南ベトナムに物資を運びました。アメリカはこの補給ルートをつぶそうと連日大量の空軍機を使って爆撃を繰り返しますが、人海戦術による輸送を完全に阻止することはできなかったのです。


 南ベトナム解放戦線は、熱帯のジャングルを味方に戦っていました。アメリカ軍が上空から解放戦線のゲリラを探そうにも、ジャングルにおおわれた地上を見ることはできません。また、上空から爆弾を投下しても、密集したジャングルは、破壊力を小さなものにした。ジャングルは自然の障壁、緑の防壁だったのです。

 

 これに対してアメリカ軍がとった作戦が「枯葉剤」の空中散布でした。枯葉剤には、不純物としてダイオキシンが混じっていました。混じっていたダイオキシンが人間にとって極めて有害なものであることが、後でわかってきました。高い発がん性や、異常出産をもたらす危険性があったのです。

 

 除草剤を浴びたベトナム国民はもちろんのこと、大量の除草剤を扱ったり、作戦行動中に除草剤を浴びたりしたアメリカ兵も、戦後アメリカに帰国してから、後遺症に悩まされることになります。ベトナム戦争が終わってからも、二人の体がつながって生まれた「ベトちゃん、ドクちゃん」のような奇形児の出産が相次ぎました。環境破壊をともなう戦術をとっても、アメリカ軍は苦戦しました。遠いアジアに連れてこられたアメリカ兵にはジャングルは未知の土地です。