冷戦10「ベトナム戦争2 トンキン湾事件」

アメリカのでっちあげ



 ベトナムの農村地帯に送り込まれたアメリカ兵は、戸惑います。熱帯のジャングルと稲作地帯は、アメリカ兵にとって理解を超えるものでした。


 稲田で農作業に従事している農民の中には、解放戦線のメンバーもいます。ふだんは農作業をしていても、突然銃を持って撃ってくることがあるため、アメリカ兵は、気が抜けません。そのうちに、ベトナムの農民がみんな解放戦線のメンバーに見えてきます。「誰が敵かわからない」という恐怖から、アメリカ兵は、ジャングルに向けて無差別発砲を繰り返すということも起きます。ただの農民をゲリラと誤認して殺害することもたびたび起きます。

 

 ジョンソン大統領の時代になると、ベトナムからは南ベトナム軍の苦戦がしばしば伝えられるようになります。ジョンソン政権はアメリカ軍を増強し、南ベトナム政府軍に代わって解放戦線と対決します。ジョンソン大統領は南ベトナム国内で活動する解放戦線とは北ベトナム軍隊だと思い込んでいたのです。こんなときに「トンキン湾事件」が発生します。

 

 1964年7月30日、北ベトナムのトンキン湾の2つの島を、南ベトナム政府軍の船が攻撃しました。アメリカ軍の駆逐艦「マドックス」が、この攻撃を支援するため、トンキン湾に入ったところを、8月2日、北ベトナム軍の魚雷艇から攻撃されました。北ベトナムの攻撃に、アメリカはいきり立ちました。二日後、再びマドックスは「攻撃を受けた」と報告します。怒ったアメリカ議会は、大統領に戦争の権限を与えました。これが「トンキン湾決議」です。


 その後、トンキン湾での二回目の「攻撃」は本当にあったのか、大きな論争になりました。北ベトナムは、一回目の攻撃は認めた上で、二回目の攻撃は「アメリカによるでっち上げ」と主張しています。証言によれば、駆逐艦の担当者の誤認の可能性を配慮しなかったアメリカによる「早とちり」ということになります。アメリカの「早とちり」の性格はイラク戦争でも問題になりました。ブッシュ米政権がイラク戦争の大義の柱に掲げていたい「大量破壊兵器」は、実際にはイラク国内に大量破壊兵器は存在せず、さらに具体的開発計画もありませんでしたね。


 いずれにせよ、北ベトナムへの攻撃開始の「大義」を求めていたアメリカにとっては、絶好の口実になったということはできるでしょう。「トンキン湾決議」にもとづき、アメリカ軍は北ベトナムへの爆撃を開始します。