冷戦9「ベトナム戦争1」

南ベトナム内でのアメリカ反発



 ジュネーブ協定後、代わってアメリカが、南ベトナムを支援しました。アメリカは、東西冷戦が激化する中で、アジアに親米的な政権ができ、アメリカの影響力が維持されることを臨んだのです。そのためにアメリカは、経済援助、軍事援助を惜しみませんでした。

 

 しかし、アメリカが支援した南ベトナム政府は、民主主義政府とは言えないものでした。大統領になったゴ・ジン・ジェムは、独裁者として、自分に反対するものは、容赦なく逮捕しました。また、ゴ一族は、アメリカから流れこむ膨大な援助を一手に握りました。

 

 腐敗した政権による横取りで、国民に援助が周りません。貧富の差が広がり、国民の間に不満が高まります。また、カトリック教徒だったゴ・ジン・ジェムは、仏教寺院を厳しく弾圧しました。仏教寺院を弾圧するということは、いわば国民の大多数を敵に回すことでもあったのです。


 腐敗した政権に反対する民主化運動が次々と弾圧される中で、1960年12月、「南ベトナム民族解放戦線」(解放戦線)が結成されました。彼らの主張は「ベトナムからの外国の軍隊(アメリカのこと)の撤退」と「独立・平和・中立の南ベトナム政府の樹立」です。(画像は南ベトナム解放戦線の旗印)

 

 このころ、北ベトナムの影響力はまだ大きくなく、南ベトナムに住む学生、労働者、知識人、民族主義者、共産主義者の混合体でした。しかし、ベトナム戦争が激化する中で、北ベトナムの命令を受ける組織に変質していきます。

 

 解放戦線は、農村地帯でのゲリラ活動を基本に組織を拡大します。南ベトナム政府の末端組織の村長などを次々に暗殺師、農村の行政機関をマヒさせます。これに対してアメリカは、南ベトナム政府の悪政への反発から南の住民が立ち上がっているという事実を誤解して、解放戦線は、ソ連、中国という共産主義から送り込まれた手先であるという認識をしていました。冷戦が激化するなかで、すべてを対共産主義の「冷戦」の観点でしか見られなくなっていたのです。

 

 アメリカは危機感を募らせ、1965年になると、ジョンソン大統領は、20万人を超えるアメリカ兵をベトナムに送り込みました。「ベトナム戦争」の始まりです。このときから、南ベトナム軍に代わって、アメリカ軍が最前線で解放戦線と直接対決することになったのです。「ベトナム人の内乱」が、「アメリカ人の戦争」に変質したのです。