冷戦7「キューバ危機」

アメリカの背後に設置された核爆弾



 1962年10月、キューバをめぐり、世界は核戦争の寸前にまで行きました。これが「キューバ危機」です。1962年10月14日。アメリカの偵察機がキューバ上空を飛行し、ミサイル基地を撮影しました。分析の結果、核兵器搭載可能なソ連の中距離ミサイルが運び込まれていることを確認しました。


 ケネディは、直ちに「国家安全保障会議緊急執行委員会」を消臭し、対策を検討しました。アメリカのすぐそばにソ連の核ミサイルが運び込まれていたことにショックを受けたアメリカ政府の高官たちは、「キューバ危機」を真剣に考え始めたのです。

 

 キューバは、アメリカのすぐ背後に位置します。アメリカにしてみれば、真正面の敵とにらみ合っていたら、いつの間にか敵が背後に忍び寄っていた。ということになるのです。ソ連のフルシチョフ首相は、アメリカの「裏庭」のキューバに核ミサイルを配備すれば、戦略上、大きな意味があると考えたのです。

 

 アメリカは、キューバ攻撃を考えましたが、その一方で、もしキューバをアメリカが攻撃した場合、ソ連が報復に出ることも検討されました。ベルリンに駐留するアメリカ軍を攻撃し、戦闘はエスカレートし、全面核戦争になるかもしれない。そこでケネディは全面核戦争へのエスカレーションを避けるため、キューバ攻撃ではなく、海上封鎖を選択しました。同時に、キューバへの輸送途中のすべての攻撃用兵器の徹底した臨検を行なう方針にしました。


 これに対してソ連は、ソ連軍に臨戦態勢をとるように命じました。ワルシャワ条約機構に加盟している東欧各国の軍隊も、同様の態勢をとりました。

 

 10月28日、ソ連のモスクワ放送は、「キューバからの武器の撤去」を発表しました。ソ連は、核ミサイルを配備したことを表向き最後まで認めないまま、アメリカの要求を呑んだのです。キューバ危機はミサイル配備発覚から二週間で、キューバ危機は終わりました。キューバ危機は「アメリカがキューバを攻撃しないと約束するなら、ソ連はキューバからミサイルを撤去する」という形で決着しました。