冷戦4「朝鮮戦争」

朝鮮半島が北と南に分裂



 朝鮮半島の同じ民族が、南北に別れていがみあうことになったのか。その原因は、太平洋戦争での日本の敗北にまでさかのぼります。


 1945年に太平洋戦争が終わるまで、朝鮮半島は日本が支配していました。しかし日本が太平洋戦争で負けると、北からソ連軍が朝鮮半島に南下してきました。これを見たアメリカは、朝鮮半島がソ連に奪われることを恐れて朝鮮半島に上陸しました。そうして、北緯38度線を境にして、北をソ連が南をアメリカが分割占領することになりました。


1948年8月15日、アメリカが占領する南朝鮮は、国民選挙によって李承晩を大統領に選び、これによって現在の大韓民国の成立を宣言しました。一方、北朝鮮では金日成をトップにすえた「人民委員会」という組織を作り、人民委員会選挙が行われました。この選挙によって、1948年9月9日朝鮮民主主義人民共和国が成立しました。しかし有権者は、みんなの前で各選挙地区に“1人しかいない候補者を支持するか支持しないか示すだけ”で、とても自由投票とはいえませんでした。

 

▼朝鮮戦争勃発

 1950年6月25日、朝鮮戦争が始まりました。北朝鮮軍は38度線を越え、韓国軍を攻撃しました。当時の韓国軍には戦車が一台もなく、総崩れになり、首都ソウルは戦争が始まって3日後に北朝鮮が占領しました。金日成首相は、軍事力で南半分を「解放」することで、朝鮮半島の軍事統一をねらったというのが、現在の共通認識になっています。この際、北朝鮮の金日成首相がソ連を訪問し、スターリン首相から、武力統一の支持を取り付けています。


 アメリカのトルーマン大統領は直ちに韓国の全面支援を打ち出しました。国連軍が創設され、アメリカを含め16カ国が軍隊を朝鮮半島に派遣しました。いまでも韓国側に駐留している軍隊は、実質はアメリカ軍でも、建前は国連軍です。しかし、急遽日本から派遣されたアメリカ軍は、装備が不十分で、怒涛のように進撃してくる北朝鮮軍にはかないませんでした。このため戦争が始まって一ヶ月後には、韓国軍と国連軍は釜山を囲む形のわずかな半円を守るだけになってしまいました。

 

 しかし、北朝鮮もあとちょっとというところで攻めあぐねました。北の本国からの補給路が延びきっていて、補給に時間がかかるようになっていたからです。韓国軍と国連軍は反撃に出ました。釜山を取り囲んでいる北朝鮮軍の北側の背後に大部隊を上陸させ、敵を包囲してしまう作戦に出たのです。この作戦は見事に成功し、北側は背後に回られて孤立し、バラバラに離散して北へ逃げることになりました。


 さらに、これを追撃する国連軍は、北上を続け、3ヶ月ぶりにソウルを奪還しました。ソウルを取り戻した国連軍は、38度線を越えてさらに北上し北へ進撃しました。ついに、北朝鮮の首都ピョンヤンを攻撃して占領しました。ピョンヤン占領後、国連軍はその後も北上を続け、北朝鮮軍を、中国との国境近くまで追い詰めました。

 

 北朝鮮軍を追い詰めたところで、国連軍は北朝鮮の人民軍とは異なる正体不明の強敵と接触しました。中国の「義勇軍」であることが判明しました。国連軍部隊は、義勇軍の人海戦術に総崩れになりました。参戦した中国軍の総数は350万にものぼりました。兵士は、7日分の食糧と、一人当たり170発の小銃弾、3個の手榴弾しか持たなかったということです。中国には補給の観念が薄く、兵士ひとりひとりが持てるだけの食糧と弾薬を持ち、食べつくし、打ち尽くすと、それで攻撃は終わりというものでした。


 中国軍は、機関銃などで応戦する国連軍に対して真正面から突撃し、死体の山を築きながら国連軍の前線に突入してきました。第一陣の兵隊が地雷を踏んで自爆することで地雷を撤去するという人海戦術の結果、わずか二ヶ月で北朝鮮領内から国連軍を追い出しました。

 

 中国軍の大攻勢で、国連軍は38度線の南へ後退しましたが、さらに後退を続けます。首都ソウルを再び放棄することになったのです。しかし、中国軍も戦線が延びきって補給が進まず、進撃のスピードが落ちました。そこで国連軍が反撃に出て再びソウルを奪還しました。このように一進一退を続けた戦争は、結局38度線付近で膠着状態に陥ります。この状態に業を煮やしたマッカーサーは、中国に対して原爆の使用の許可を求めますが、マッカーサーの考えを恐れたトルーマン大統領は、マッカーサーを解任します。

 

 1951年7月、ソ連の呼びかけで休戦会談が始まりました。2年後の1953年に、板門店で休戦協定の調印式がようやく行われました。南北両国は、ほぼ北緯38度線を境に軍事境界ラインで分割されました。この軍事境界ラインの南北それぞれ二キロを非武装地帯にして、両軍の駐留を禁じました。

 

 朝鮮戦争後、北側の住民300万人が、金日成体制を嫌って南へ逃げました。朝鮮戦争自体は、1953年7月の休戦協定で「休んで」いますが、南北の小競り合いは続いています。当時の日本には思わぬ影響を与えました。戦後日本経済の復興と再軍備です。朝鮮戦争を遂行する上で必要な物資を、アメリカは日本に注文しました。この注文を受けて、日本の各企業はフル生産に入りました。太平洋戦争の敗北の廃墟から立ち直れないでいた日本経済は、一気に回復に向かすのである。隣の国の悲劇によって経済が復興するという結果になったのです。