冷戦3「スターリンの恐怖政治」

800万人の罪なき自国民を虐殺



 戦後、冷戦初期にソ連および共産主義国の主導者となったのがスターリンです。1917年のロシア革命で政権を握ったロシア社会民主労働党(共産党)はレーニンが率いていましたが、1924年1月にレーニンが死ぬと、スターリンが後継者に選ばれました。スターリンがトップに立ったことで、ソ連は空前の災禍に見舞われます。粛清、処刑、餓死・・・・正確な人数はいまだに判明しないほほど膨大な数の人々が、不慮の死を遂げることになるのです。

 

 スターリン時代のソ連で、いったいどれくらいの人が粛清つまり処刑されたのか、、少なくとも800万もの人が、処刑されたり、強制収容所に入れられたりしたと見られています。この数字が1200万人から1500万人にもなるという見方もあります。


▼農民虐殺

 ソ連の農業基盤を破壊し、ソ連農業がいまだに立ち直れない原因を作ったのは、スターリンによって1929年から始まった「農業集団化」でした。個々の農家がそれぞれ農業をするのをやめさせ、全員を集団農場に集めて働かせ、収穫した農産物を国家に納めさせる方法です。


 農村地帯では、農民を「富農」と「貧農」に無理やりわけ、「富農」と分類された農家は、殺すか、強制収容所に入れて強制労働に従事させました。「貧農」は集団農場の労働者にさせられました。「富農」絶滅政策により、900万人近い農民が農地を追われ、そのうちの半分(450万人)が処刑されました。

 

農村地帯で「富農」に分類されたのは、農業に熱心な篤農家でした。家族をあげて農業に熱心に取り組んでいたため、それぞれの農村では、相対的に豊かな生活を送れるようになっていたのです。こういう人たちが処刑されました。不条理な世界です。「貧農」と分類された人達は、集団農場に入り、一日決められた労働時間さえ働けば給料がもらえ、時間外で働いても給料は増えません。労働意欲は低下しました。

 

しかし農業は自然が相手で、雪がふれば畑がひえないように夜通し焚き火をしたり、日照りが続けば水の心配もしなければなりません。決められた時間に働けばよいというものではありません。そのため、ソ連国内の農産物の収穫高は大幅に低下します。もともと豊かだったロシアの農村で、農民が餓死するという悲劇が繰り広げられました。

 

▼少数民族弾圧

スターリンは、さまざまな民族が故郷に固まって住んでいると、民族としての団結が強まり、独立運動を始めるのではないかと心配しました。このため、各地の少数民族を集団で移転させる政策を行い、民族ごと何の関係もない遠方に送り込まれました。


集団移転だけでなく「分断」も行いました。中央アジアのイスラム教の民族が団結するのをおそれ、5つの共和国に無理やり分割してしまいました。このような当時のスターリンによる民族の集団移転や分割政策が元で、現在もロシアや旧ソ連の諸国ではさまざまな民族紛争がおきています


痛ましいのは、恐怖政治が続く中でも、共産党の正しさを信じて、死刑判決を受け入れた幹部が多くいたということです。「党は正しく、党は絶対的に正しい」という思い込みに呪縛された党員たちの悲劇を物語っています。


▼科学的社会主義

マルクス・レーニン主義は科学的社会主義である。科学的ということは、正しいということである。ゆえにマルクス・レーニン主義の党は正しい。正しい党が選出したリーダーは、もちろん正しい。リーダーは正しいのだから、その指示や命令によって行われることも正しい。


命令は科学に基づいている。それなのに、もしうまくいかないことがあれば、それは内部の陰謀や裏切りでしか説明ができない。陰謀を摘発しよう。人民のための党を裏切るのは、人民の敵である。こうした論理で大量の殺戮が行われました。


スターリンに限らず、マルクス・レーニン主義を掲げた社会主義国では、多かれ少なかれ個人崇拝が横行しました。中国の毛沢東、北朝鮮の金日成、ユーゴスラビアのチトー……。こうした国々では共産党の一党独裁のスタイルをとっています。一党独裁のもとでは、すべてのことは「党の指導に従う」ことになっています。


この体制だと、私たちが理解している「三権分立」は存在しません。さらに何でもトップが決めることが続きますと、起きるのは中堅幹部のモラルの低下です。「判断するのはトップ」なのですから、ひたすらトップの指示・命令を聞いていればいいことになります。

 

なまじ創意工夫をして失敗し、批判される危険を冒す気にはならなくなるでしょう。一党独裁制度の国々の経済が停滞するのには、それなりのわけがあるのです。