冷戦2「ドイツ分裂」

西ドイツと東ドイツ



第二次世界大戦後、ドイツのベルリンは、地理的にはソ連占領地域に入っていましたが、首都であることを理由に、4カ国の共同管理になりました。また、ベルリン内部も、東側はソ連、西側はアメリカ、イギリス、フランスが支配しました。ベルリンが東西に分割占領され、いわばドイツ全体の縮図になったのです。

 

分かりにくいですが、ドイツ全体が東西分割され、加えて首都のベルリンも東西に分割されている状態です。上の写真のようなかんじです。西ベルリン(資本主義国)地区の周りは真っ赤な地帯で、その向こうに西ドイツがあるという「陸の孤島」です。


戦後のドイツをめぐってソ連と西側諸国の意見は対立し続けました。とりわけ対立したのが通貨問題でした。ソ連はドイツの経済復興には興味がなく、首都のベルリン全体を自分たちのものにしたいと考え、ベルリン市内だけはソ連が独自の通貨を発行しようとしました。これに対して反発したアメリカ、イギリスは、1948年新しい通貨を発行して、ドイツでの通貨を一本化して発行量をコントロールして、インフレを抑制し、ドイツ経済を復興させようとしました。


怒ったソ連は、ベルリン封鎖で応えました。西ベルリンは、ソ連占領地区の中にぽっかり浮かぶ「陸の孤島」になってしまいました。それまでは、ソ連圏であっても西ドイツ地区から西ベルリンにむけて、一応、鉄道が通っていましたし、ドイツの高速道路も使えました。しかしソ連は鉄道や高速道路がソ連占領地区にあることを理由に、すべて通行止めにしました。さらに、電力、石炭、食糧、原料の供給も停止しました。「陸の孤島」に対する兵糧攻めが始まりました。


西側は猛反発しました。「西ベルリン」を救えという大キャンペーンに発展し、「空の掛橋作戦」が始まりました。225万人の西ベルリン市民が必要な物資のすべてを、アメリカ空軍の輸送機で運ぶという計画です。アメリカ空軍は、ピーク時には輸送機を一分おきに飛ばすという離れ業をやってのけました。飛行回数はのべ27万7000回にも達しました。ソ連の脅迫は失敗しました。西ベルリン封鎖は11ヵ月後に解除されました。


 この「西ベルリン封鎖」により、西ベルリン市民、そしてドイツ西側占領地区の人たちの反ソ・反共産党感情は決定的になりました。1949年9月、西側ドイツは、ドイツ連邦共和国として独立しました。これに対抗して、同じ年の10月、東側ドイツは社会主義統一党の一党独裁のもとドイツ民主共和国として独立しました。ドイツは分裂国家となったのです。