冷戦1「資本主義と社会主義」

世界資本主義(善)と社会主義(悪)に分割



第二次世界大戦後に始まった「冷戦」は、さまざまな紛争を起こしました。当時のヨーロッパを中心にした世界地図を見ると、西ヨーロッパがアメリカグループ(資本主義国)、東ヨーロッパがソ連圏(社会主義諸国)になりました。

 

「冷戦」という言葉は、1947年、アメリカのジャーナリストのウォルター・リップマンによる「冷戦-米外交政策の研究」という本が元で、軍隊同士がぶつかる熱い戦争に対して、直接の戦争ではない冷たい戦争、という意味で使われています。「冷戦」といっても、アメリカとソ連の直接対決がなかっただけで、東西ドイツ分割、ベトナム戦争、朝鮮戦争などアジアなど各地で熱い代理戦争が繰り広げられました。


第二次世界大戦中の1945年2月、戦後のヨーロッパのあり方について意見を交わそうと、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相の3人の指導者が集まり、「ヤルタ会談」を開きました。そこでは、ドイツの占領から解放されたヨーロッパ諸国で、できるだけ早く自由選挙を実施して、国民を代表する政府を作るプロジェクトが作られたのです。

 

しかし、スターリンは、このヤルタ会談に納得がいきませんでした。ソ連が占領した国々(ポーランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア)で、自由選挙を実施させず、ソ連寄りの共産党政権を次々に作っていきました。さらに1948年には、ソ連がドイツの西ベルリンの封鎖に踏み切りました。これらの国々は、西側諸国との交流を絶ち、出入国も自由にはできなくなりました。言論の自由も認められなかったので、国内の様子が西側からまったくわかりませんでした。これが「鉄のカーテン」です。


このソ連の行動に、アメリカをはじめ西側諸国はとまどいます。第二次世界大戦をソ連とともに戦ったという思いから、ソ連との協調路線をとっていましたが、アメリカの外交政策は転換します。ソ連に対して協調路線を求めるよりも、長期間、忍耐強く確固とした立場でソ連を封じ込めることで、ソ連の体制が内部崩壊するのを待つしかない、という方針になりました。これが「封じ込め作戦」です。


そして、1947年3月、トルーマン大統領は、世界を自由主義(善)と共産主義(悪)に二分して、悪との対決を宣言する「トルーマン・ドクトリン」を発表します。世界を善と悪に二分して、どちらを選択するのかと問いかける、極めて単純なこの二分法がキリスト教国家であるアメリカ国民に受け入れられました。これがまさに「冷戦」の開始です。西ヨーロッパがアメリカグループ、東ヨーロッパがソ連グループになります。