世界史38 アメリカ帝国3「ニューディール」

あまり成果が上がらなかった公共事業



世界恐慌が悪化するなかで、人々はその責任はフーヴァーにあるとしたが、フーヴァーは決して無策だったわけではない。不十分であったり遅すぎたりして効果をもたらさなかったのである。


孤児の身から自分自身の力で道を切り開いて生きてきた彼には、もともと他人を頼らないという個人主義の信念があった。しかし、国の救済に関しては自由放任主義ではなく、政府の介入を必要とする革新主義的な立場だった。恐慌においての彼の立場は、重視する点は「経済の回復」であり、直接失業者を救済したり、農産物価格を引き上げたりすることには否定的だった。


しかし現実の政策としては、フーヴァーは連邦政府の介入を進めた。重要なのは1932年の復興金融公社(RFC)の設立である。経営の悪化した銀行、鉄道などの企業に連邦政府の資金を供給することを目的としており、こうした直接介入は史上例のないことだった。RFCは後のニューディールに先鞭をつけることになった。


フーヴァーはそれらの政策を通して私的企業に刺激を与え、景気が自然に回復するのを待とうとしたが、結局、恐慌から脱するためには政府が主体になって経済を動かすしかないということが明らかになってきた。


1932年にフーヴァーにかわって、フランクリン・ローズヴェルトが大統領となった。ローズヴェルトの恐慌政策は「ニューディール」といわれるが、具体的には、知的探求体制のさらなる推進、すなわち、政府の主導のもとに政府・企業・学界の協力関係からなる建て直しである。


●農業調整法(AAA)

農民の生産削減に対して補助金を支払う農家救済政策。この政策は農業を安定した基盤に乗せるうえで成果を収めた。1934年以後、農産物価格は上がり、三年以内に農業総収入は50パーセント増えた。

 

●全国産業復興法(NIRA)

最も代表的とされるニューディール政策。政府資金を投入して道路、橋、学校、病院、図書館、公共住宅などの建設を行う大規模な公共事業。期待された景気上昇は起こらず多くの批判を受けるようになった。

 

●テネシー川流域公社(TVA)による総合開発

AAAやNIRAが間接的な補助だったのに対して、直接政府が事業を行ったのがテネシー川にダムをつくり安価な電力を供給する計画。洪水の被害を守り、植林を行い、地域の産業を起こし、農業の生産性を上げる計画。これは成功をおさめた。


しかし、1936年ごろからニューディールは再び困難に直面する。1937年夏、国民所得が恐慌前の水準に近づいたことで、景気の回復と判断し、救済・復興政策の予算を大幅に削った。すると経済が再び不況に陥ったのである。1938年、再び救済・復興政策の予算を増やすと経済は再び回復の兆しをめせ始めた。


しかし、ニューディールはその頃に終焉を迎えていた。それ以上に、国際情勢が緊迫化してきた。1938年1月、日本は中国の国民政府首都である南京を占領し、中国と全面戦争へ突入し始めた。3月には、ナチスがオーストリアを併合、次いでチェコからズデーテン地方を割譲させた。そして1939年9月、ドイツ軍がポーランドに電撃侵入。3月にイギリス・フランスがドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が勃発。


第二次世界大戦の勃発により、ローズベルトの関心も軍備の方に移っていった。結局、アメリカ経済は、その後拡大した軍需生産によって一挙に回復し、未曾有の好景気を迎えることになる。