世界史 終章「新たなる敵の影」

世界は赤と青に分割された



第一次大戦後設立された国際連盟には、アメリカは、ヨーロッパ列強が支配する国際政治に関わることに反対する国内勢力が強く、参加しなかったが、国際連合においては指導的役割を果たすことになった。ニューヨークにある国連ビルも、ロックフェラー家とニューヨーク市の寄付金によって建てられている

戦後の世界に、アメリカ人はアメリカ文明による支配を期待した。しかしそのような期待も束の間、「アメリカの世紀」の前に強敵が立ちはだかった。戦後世界はアメリカがソ連と一触即発の状態で敵対するところとなったのである。

ソ連はアメリカほどの経済力はなかったが、アメリカ資本主義に代わる独自の構想をもって世界各国に影響力を及ぼした。両国が直接に交戦することはなかったものの、戦後の世界は緊張した状態が続いた。「冷戦」である。

アメリカとソ連では、戦後世界のヴィジョンが全くちがっていた。アメリカは民主主義の下での平和な世界を描いたのに対し、ソ連は、西側資本主義国の侵略を防ぎ安全を確保するために自国の周囲に勢力圏を築くことを考えた。両者の対立は、戦争直後は特に東欧諸国の政権、ドイツ占領政策、原子力兵器の国際管理をめぐって、いっそう深まっていった。

当時のトルーマン政権は、ソ連を世界支配を目論む危険な相手とみなし、アメリカは世界をソ連共産主義の「帝国主義」的野望から守る義務があると信じるようになっていった。このために、ソ連の勢力拡大を抑えるための政策が次々にとられていった。

その内容はあとに「トルーマン・ドクトリン」と呼ばれ、「冷戦におけるアメリカ外交の指針」となったとされる。「トルーマン・ドクトリン」は、世界にはふたつの対照的な生き方があり、それらは「多数の意思にもとづく生き方」と「多数者に少数者が強制的に押し付けられる、少数者の意志にもとづく生き方」であり、前者が「政治的抑圧からの自由」、後者が「個人の自由の抑圧」によって特徴づけられるとし、各国はそのいずれかを選ばなければならないと述べている。

そして、「武装した少数派あるいは外圧による征服の試みに抵抗する自由な人々を支持することが、合衆国の政策でなければならない」と訴えている。トルーマンの演説は、イデオロギー戦争を前面に出し、議会の支持を得た。

冷戦外交の指針を確立していくのと同時に、軍や行政機構による安全保障体制の強化が図られた。1947年の国家安全保障法で、陸・海・空軍を統括する国防省を創設。軍事および外交上問題について大統領に諮問する機関として国家安全保障会議(NSC)を設立、さらにこのNSCの下には諜報機関である中央情報局(CIA)が組織された。

冷戦のなかで、日本に対する政策も変化した。アメリカは、日本の完全非武装化、民主化という路線にそって、新憲法制定をはじめとするさまざまな政策を実施していたが、次第に共産主義の防波堤としての強い日本が必要であると考えるようになっていった。