世界史33 大英帝国4「俗悪な大衆文化」

物質主義、刹那、俗悪


1851年ロンドン万博
1851年ロンドン万博

産業革命によりこれまでの単調な生活からバラエティ豊かな生活の変化が現れた。そしてそれに対応できる時間と金の余裕を持つ階層が増えてきた。大衆社会、ポップ・カルチャーの登場である。19世紀は、ハイカルチャーがポップ・カルチャーに席をゆずった時代といえるだろう。


1851年にロンドンのハイド・パークで開催された世界で最初の万国博覧会が、大衆社会の到来にはずみをつけた。ロンドン万博は、ヴィクトリア女王が、大英帝国の国威を示すために、全世界に呼びかけて開催された、史上初の本格的な国際的祭典だった。しかし、同時にそれは「国民的な大祝祭」でもあった。会期140日、実質入場者数400万人を集めた。400万人という数字は、当時の世界的大都市ロンドンの総人口のほぼ2倍である。


これだけの大衆が動員された理由は、ウィークデイの入場料が1シリングという大衆料金に抑えられたこと、もう1つは、地方からの団体旅行の企画が好評を博したこと、この2つがあずかって力があったといわれている。


また、大衆向けの娯楽週刊誌が登場し、会期前から万博の話題を盛り込んで、万博熱を煽りたてたことも大きい。ちょうどこのころ、ロンドン市民の識字率の向上が、娯楽週刊誌の活況が深いところで繋がっている点にも注目である。


50年代、60年年代に識字率が高まり、識字率の普及とともにジャーナリズムが大衆化した。ジャーナリズムの大衆化に拍車をたてたのが、新聞や雑誌の発行に化していた税金であるスタンプ税の廃止で、これによって購読料が低下し、民衆教育の普及も手伝って、ジャーナリズムがマス・メディアに転化して、大衆読者層が増えた。こうして大衆向け娯楽週刊誌ができ、これが万博を煽りたてたことで万博は大衆を動員できたというわけである。


しかし、大衆文化が広がったことで、これまでの文化とちがって、非常に俗悪な文化が表出するようになります。何かにつけて物質万能主義で、俗悪趣味で満足しきっている豚のようなすがた!こうしてリアリズムの風潮がおこってきた。


リアリズムは、文芸作品にもっとも明白である。人生や社会を、美醜善悪にかかわらず、あるがままに描こうというわけである。1863年の名高い落選展に出品されてスキャンダルを引き起こしたマネの「草上の昼食」が代表的なもの。これまでの美術でも裸婦はたくさんありましたが、あくまで聖母マリアやヴィーナスなど神話や歴史上の出来事を描いた作品において登場する女性だったが、マネは、タブーをやぶって「現実の裸体の女性」を描いた。マネが当作品で描いた「現実の裸体の女性」は画期的なものであり、同時に批判の対象となった。


80年代には労働者の食卓が、ヴァラエティ豊かな食品に彩られて、食事革命ともいわれる事態が現れた。消費財は「商品」として購入されるようなり、自家製のパンを焼くこともなくなりました。そして「グルメ・ブーム」が起こった。ピューリタンの伝統からいえば、食事は質素であるべきということになっている。食欲は人間の欲望の基本的なものですが、欲望を限りなく膨らましていくと際限がない。

 

「グルメ・ブーム」に湧いた中流階級のこどもたちは、成人した後の、失業者となって教会の支給する一杯の慈善スープをもらうためみぞれ混じりの寒空の下、延々に列に並んだといいます。親の世代よりもむしろ子どもの世代に生活水準が低下しました。

 

そしてイベントだらけの生活になった。当時のイギリス大衆層が、展覧会、博覧会、スポーツの試合、さらにその他の催し物に血眼になったことも特記に値する。ロンドン市内の近郊の競技場は、熱狂したファンが日夜つめかけ、毎日のようにさまざまな競技が行われた。

 

非常に奇妙なことに、何かイベントがあるとなると、その一番乗りを目指して前の晩から人びとがおしかけた。前の晩どころか、二日も三日も前から、順番を取るために並ぶ長蛇の列ができて、会場のまわりを取り巻き、この珍現象に年輩者は大いに嘆き驚いた。現在のでもまったくおなじだとおもわれる。


その場かぎりの“アミューズメント”が、軽薄な趣味を従えていまや主流として「高く飛翔」し始めたのが、大衆文化の特徴と言えるであろう。爛熟した文化や価値観の多様化のなかで、「精神的安全装置」をもたない社会、あるいは簡単に歴史を忘却してしまう国の大衆が、ただひたすら美味しいものを食べ、変わった食べ物をむさぼるのは、目の前に迫っている衰退への道をそれと気づかず転げ落ちてゆく姿だった。