世界史32 大英帝国3「産業革命が起こした闇」

悲惨な児童労働と女性労働者



産業革命は、都市化つまり人口の都市への集中をもたらしたことで、さまざまな弊害を生み出した。工場から吐き出される煤煙や廃棄物による公害問題、衛生環境の悪化、犯罪の増大、失業、生活困窮者の増加、これらは産業革命の光のとどかない“影の部分”だった。


産業革命が生み出しだ負の側面の代表として、悪名高い児童労働がある。産業革命によって変わったのは、工場という新しい環境のなかで、子どもたちが日常的に過酷な労働を強いられるようになったことだった。農村では体力的な差によって大人と子どもの労働が区別されていたのに対して、工場では機械を使ったさまざまな仕事を存在するため、子どもにも大人と同じ仕事をさせることが可能だったからである。


工場では、児童も大人も同じ時間働き、児童の労働時間は、休憩と食事の時間を除いて、実働12時間が普通だったという。ひどいところでは、こどもたちは朝の3時には工場に行き、仕事を終えるのは夜の10時から10時半近くだった。休憩時間は、朝食に15分間、午餐に30分間、そして飲料を採る時間に15分間だけだった。仕事に5分間遅れただけで、賃金を4分の1に減らされた。


児童労働、長時間労働のひどい実態が明らかになり、多くの社会改良家の運動もあり、1833年に制定された「連合王国の工場の児童および年少者の労働を規制する法律」で、児童労働に制限がかけられた。しかし1837年まで、イギリスでは出生の登録が義務付けられていなかっため、多くの工場主たちは、法網をぐぐって幼児を雇用したり、親たちのほうも、子どもの年齢を実際以上にいつわることもあっ。


子どもだけでなく、女性労働者の環境も同じくひどかった。ナイチンゲールは当時の下層労働者の劣悪な衛生状態を次のように述べている。

 

「(職場の)部屋を暖めすぎたり、せっかく良い換気口になりうつ隙間をすべてふさいでしまったりして、かれらはみずからますます事態を悪化させてしまう。このような場所で、しかも無理な姿勢、運動不足、短い食事時間と栄養不足、長時間にわたる過酷な労働、不潔な空気といった状況下にあって、かれらの大多数が胸部疾患、それもたいていは肺結核で若死にするという事実、これは一体不思議といえるであろうか。」


職場環境だけでなく、住宅環境もひどいありさまだった。水洗トイレの普及は、当時はまだ、上・中流家庭に限られており、多くの家庭では「ふたのない寝室用便器」を使用するのが珍しいことではなかった。水道も、共同水道栓で満足しなければならないような状態だった。しかも、水道栓からの給水が「下水と便所の排水とによって汚染」されていることもまれではなかった。

 

とりわけ、大都市は、住民を社会層ごとに「住み分ける」という傾向が強かったため、最下層の住民は、安普請の劣悪な住宅に群がるほかなかった。大都市に特有のスラム街が各地に生まれることになった。労働者の労働条件は、農民や職人たちよりも悲惨だった。都市部では衛生環境の悪さから、子どもの3人に1人が5歳前に飢餓や病気で命を落とした。そのため、コレラを代表とする熱病の発生率は、田園地帯に比べて都市では圧倒的に高く、労働者の平均寿命も、不衛生な職場環境やや劣悪な生活環境ゆえに極端に短かった。


産業革命がきわめて深刻な問題を引き起こしつつあることがわかると、イギリスでは1850年までに、鉱山や工場で働く女性と子どもを保護するための法整備が始まった。1865年には、レンガ作りの幹線下水道がほぼ完成された。そうして1866年のコレラの蔓延を最後に、イギリスにおける伝染病の流行がほぼ収束した。