世界史26 フランス革命「ヨーロッパ史上最大の革命」

ヨーロッパで最も大規模な市民革命



アメリカ独立戦争では、フランスとアメリカが同盟を結んだこともあり、多くのフランス人がアメリカ独立戦争に参加していた。その戦争が終わったとき、アメリカ人はフランス人将校に対して、「フランスでもこの自由の勝利を達成してくれたまえ!」と励ますのではなく、醒めたような言い方で「私たちの勝利にあまり影響されないように」と語った。

 

これは、旧世界に「自由」が根を下ろすには、アメリカよりもはるかに難しく、事が達成されるには多くの血が流れ、また世界中にその革命の影響を与えるだろう、という忠告的な意味である。その後、実際に、1789年7月14日、バスティーユ牢獄破壊を導火線としてパリで始まった「フランス革命」では、多くの血が流れた。


革命の上げ潮と引き潮の波が激しく、たった10年の間で、めまぐるしく社会情勢が変転したのがフランス革命の大きな特徴である。同時代に生きていた人は、まさにジェットコースターに乗っていたようなかんじだった。理由は、アメリカと違ってフランス革命では、圧政からの解放だけでなく、貧困問題にも対処しなければならなかったということである。


アメリカの場合は、もともと裕福で貧困問題がなく、圧政からの解放だけが目的だった。一方、フランスでは、民衆の大半が貧困状態で、革命の中でのフランスの貧困民衆の行動には、貧困が解消されたらその政府を支持するが、また悪化したら支持をやめて暴動を起こすという傾向があった。この長期的な貧困の克服がなかなかできなかったため、混乱の収拾がつかず、政治体制が二転、三転した。


最高潮は、ジャコバン党が恐怖政治をおこなったとき。ルイ16世を処刑してから党内の激しい権力闘争をへて、ロベスピエールが独裁権を握った。ここに恐怖政治が始まり、たくさんの貴族がギロチン台で露と消えます。「自由」と「変革」を求める時代には、その過程において、いつの時代でも当初の目的と正反対の独裁恐怖政治が現れる

 


ロベスピエールの狂気的な政治には、民衆は猛反対した。しかし、ロベスピエールのあとにあらわれた総裁政府の無為無能にも民衆は愛想をつかす。そしてこの間隙をぬって、ナポレオンが突如クーデター(1799/11)を起こして総裁政府を倒すことになる。


フランス革命はたんにフランス一国の政治変革にとどまらず、全ヨーロッパに波及した点で市民革命中もっとも規模が大きかった。フランス革命が勃発した際、ヨーロッパ大陸のほとんどの国で、革命を支持するか否かが政治上の最大の論点になっていた。その最大の理由は、当時のフランスがヨーロッパの最強国だったからといえるだろう。


フランス革命を対岸の火事視していたオーストリアやプロシアは、革命の火が自国に燃え移るの知ると、干渉の態度を一変。フランスは侵入軍にたいして、急遽、革命軍を編成。ルイ16世が処刑されると、ヨーロッパ諸君主はいよいよ恐怖心をいだき、イギリス首相ピットの音頭とりで対仏同盟(1793)がむすばれ、ナポレオン時代までに5回におよぶ。風雲児ナポレオンが鋭鋒をあらわしたのも、こうした対外戦争において赫々たる武勲をたてたからだった。