世界史21 世界大戦と国民国家の誕生

ウェストファリア条約



オランダの独立戦争だけでなく、16世紀なかごろから17世紀前半までは、ヨーロッパ全体でプロテスタンティズム勢力とカトリック勢力とが激突した。いわゆる宗教戦争といわれる。ただ、これらはじつは宗教に名をかりた政治の争いでもあった。


たとえばイギリスとスペインとの決戦(1588のスペインの無敵艦隊の覆滅)は、両国の海上権をめぐる争い。フランスのユグノーの乱(1572の聖バルテルミー祭の新教徒虐殺)は、王室のお家騒動。ドイツの30年戦争(1618~48)は、近代ヨーロッパの世界大戦ともいえるもので、デンマーク・スウェーデン・フランス・スペインが、ドイツの新旧教徒に加勢するという口実で、火事場泥棒みたいにドイツを取り合いしたものだった。

 

もう教皇と皇帝を枢軸とする中世の普遍主義など、もうくそくらえ、あくまで自己の存在を主張し、国家利益をはかるべしという空気になったが、まだ多少に宗教や伝統に対して遠慮があったため、宗教の仮面をかぶって政治的な戦争を行なった。中世における世界大戦といわれるものです。


この宗教戦争による混乱の時代に登場した思想家が近代合理主義の祖ルネ・デカルトトマス・ホッブスである。デカルトは、もはや何の確信も確かな信念ももちえない混沌とした状況のなかで、唯一確かなものは何かと模索した。戦争だらけで、身のまわりの世界も社会も決して安定したものではなく、何も信じることができなかったわけで、そんな状況で「すべては疑わしい。しかし、それを疑うわれは疑いえないだろう」という信条だった。これが有名な「われ思う、ゆえにわれあり」である。


またホッブズは、無秩序の状態のなかで、唯一の絶対者である君主をクローズアップすることで、内乱の時代を乗り越えようとした。ここから国家という概念が生まれ始めた。ホッブズにとっての国家論は「無秩序の回避」に焦点をおいた国家論であり、そのために主権者は絶対的な存在であるといっている。自然状態の無秩序を回避するものは、絶対的な主権国家の成立が必要であるといった。


当時の世界大戦を終わらせることにしたが1648年のウェストファリア条約。この条約によって、それぞれの国家がその選択によって特定の宗派を決めるようになった。その意味で、これまでの宗教的秩序から世俗的な国家が自立し、ここに世俗的な主権国家が登場しはじめました。宗教的権威から世俗的権力の優位になった。国民国家体制はまだ不完全だが、少なくとも近代的な主権国家体制はここに成立した。


また、主権国家ができると、国家と国家の間の関係として「国際関係」が生まれた。国家ごとに宗派、言語、文化が異なるわけだから、国際関係の論理と国内政治の論理は当然違ってくる。国内には絶対的な主権が設定されているが、国際関係には絶対的な主権はない。よってそのままでは国家間の衝突が起こる。そこで「国家間の関係」としての「国際関係」を律するルールが必要になり、ウェストファリア条約ができた。


重要なことはヨーロッパの「近代」は、国家間の富の略奪戦争と、宗教的なもののなかからまさに宗教的なものの原点へ復帰しようとする動きという複合的な動きのなかから生まれ出てきた。宗教改革という名のキリスト教の原理主義的な回帰から、宗教から自立した近代的国家が成立し、世俗の領域が確立しました。