世界史20 オランダの繁栄「アントワープ」

16世紀ヨーロッパの金融市場として繁栄



16世紀頃のヨーロッパは、オランダが交易場所として徐々に商業的な繁栄を見せはじめた。ついには、当時勢力のあった都市同盟「ハンザ同盟」の勢力を破り、東ヨーロッパ貿易の覇権を握ることになった。現代におけるニューヨークの立ち位置にオランダはなった。このオランダの繁栄は、途中、中心都市が入れ代わるが2世紀にわたって続く


当時、オランダが繁栄した理由はいくつかある。

 

●交易所

まず、アメリカ大陸からやってきた銀や東方の物品の多くは、いったんオランダのアントワープに集まり、そこから各国に拡散していった。フラマン地方の布地、ガラス細工、シェラン島の塩、イギリスの刃物製造、ドイツの貴金属などを東洋の製品と交換していた。また、アントワープは毛織物工業の中心地でもあり、毛織物交換においてヨーロッパ交易の心臓部となっいた。


●金融市場

次にアントワープは、ほかの都市に比べて金融市場を管理運営する能力があったことが重要である。理由としは15世紀後期にスペインやポルトガルで迫害された優れた商業手腕をもつ多くのユダヤ人がイベリア半島を追われて、オランダに移住してきたことがある。


また、グーテンベルクの活版印刷を実際の産業の中に最初に取り入れた街でもあった。当初は、活版印刷は、宗教知識を保有する者たちの専用の技術だったが、商業上のデータ資料作成に転用されはじめた。

 

アントワープには、今で言うロスチャイルド家やロックフェラー家に相当するヘーシュステラー家、フッガー家、ウェルザー家といったドイツ人大銀行家が居をかまえていた。これはアメリカ大陸の銀がここへ集まっていたからである。


商業都市として発達しはじめたアントワープは、富裕な市民層を中心に、隣国ドイツやスイスで起こった宗教革命の影響で、カルヴァン派の勢力が浸透していった。しかし、それが原因でカトリック国で当時オランダを支配していたスペインの弾圧を招くことになった。当時のヨーロッパ最強国スペインの恐ろしさに、当初は、ただ耐えるか、外国へ逃げるしかなったオランダ人だったが、やがてオレンジ公ウィリアム1世がスペインの暴政に対抗するために立ち上がる。


特に1569年のオランダに対する新税賦課と1576年のアントワープ略奪は、オランダの人びとを独立運動のがわに追いやるうえで、決定的な役割を果たした。結局、このオランダ独立戦争は80年戦争となり、終結は1648年のウェストファリア条約によるオランダ独立承認という非常に長い戦争になった。しかし、80年戦争のなかで、スペインの暴政に道連れされるかのようにアントワープは没落していった。

 

没落の原因は、スペインによるのアントワープの富の略奪である。当時支配していたスペイン政府の財政破綻による兵士給料不払いから起こったもので、そのとき、7000人以上の市民の生命と財産が奪われた。それまで中心都市だったアントワープの交易は激減し、港もさびれ、活気を失って行き、世界的繁栄を誇ったアントワープをまったく荒廃させてしまった。


荒廃の理由は、ほかにもあった。アメリカ大陸の鉱山で大量の銀を採掘したことにより、アントワープの商業ネットワークが依拠していた銀の価値がきりさがったためである。一方、金の価値は上昇したが、アントワープは金の相場まで支配していなかった。