世界史18 カルヴァンと近代合理的資本主義

現代アメリカキリスト教の源流



ルターよりややおくれて、カルヴァンがスイスのジュネーブで宗教改革をおこなった。同じ宗教改革者でありながら、ルターとカルヴァンほど対照的な人物はいないのではない。

 

ふたりとも「聖書中心主義」を根本においたところは共通している。また職業を神聖視したことも共通している。しかしルターは、ドイツ神秘主義の申し子、信仰一本槍で、終生ドイツ気質からぬけられなかった。そのため、ルター派では職業においても伝統的な仕事を自然と重要とする

 

これにたいしてカルヴァンは正反対に合理主義で組織化で、どんな国にも根付く国際性に富むことを良しとする。職業においても普遍的に役に立つ仕事を重視する。そのため、ルターの教えは北ドイツや北欧のおくれた国々にとどまったのにたいして、カルヴァンの教えはオランダ・イギリス・のちに北アメリカにつたわり、現在も世界をリードしているキリスト教のプロテスタントの仕事観に大発展した。

 

カルヴァンの思想には、ごく少数の人びと、つまり神によってあらかじめ救済を約束されている「選民」をのぞいて、人間の救済は不可能だという選民思想がある。彼の教えでは自分が「選民」であると確信できるかどうかという点がもっとも重要なポイントであるという。


また、カルヴァンの禁欲主義がいささか常軌を逸していた点も重要である。禁欲というと、出家遁走して浮世の欲念をたつ東洋流の禁欲を連想しがちだが、西洋の禁欲はそうした消極的な生活態度とはまったくちがう。東洋の禁欲が植物的なら、西洋の禁欲は動物的である。神を冒涜とした者と魔術を行うものは死刑に処し、不義密通した女は水死刑、男は斬首刑、異端の罪をおかしたものは最も厳しい刑罰である火刑が待っていた。

 

十字軍でみたように、キリスト教では、博愛と残酷とがいつも背中合わせになっていますが、カルヴァン派は、まさに博愛と残酷性を持ちあわせており、いいかげんな妥協を許さない、徹底的であり、「あれかこれか」の二者択一をせまるような宗教である。


カルヴァン派の禁欲は、さらに積極的です。修道院のような、世俗を捨てた労働は認めない。「世間のなかにいて」働くこと公共性を良しとする。したがって仕事というものを卑しいと考えず、逆に神聖視する。職業であるからには、これまでカトリック倫理で疎まれてユダヤ人だけが就いていた金融業だって、少しも引け目に感じる必要はない。


このようなあたらしいキリスト教の職業倫理、またそのなかを貫く合理精神が、勃興しつつあった商人や市民たちに歓迎されたのは、なんら不思議はない。カルヴァンの教えが、近代資本主義精神と深いつながりがあるといのは、当然のことだろう。