世界史17 ルターの宗教改革

メディア革命が宗教改革を誘導した



ルネサンスは世俗生活における人間の復権だったが、宗教改革は宗教生活における復権である。宗教改革の口火をきったマルティン=ルターは、信仰の内面性に重要点を置きました。


このころのローマ教会とて、腐敗と堕落が進み、信仰よりも儀式や制度など形式主義になっていた。「形式的な儀式さえ受ければ救われる」という雰囲気が蔓延し、「洗礼さえ受ければ、その後で強盗をしようが人を殺そうが救われる」という解釈が広がりはじめていた。

 

そのため、本来聖職者になる資格がない俗人でも平気で金によって聖職につけるという聖職売買や、教皇庁など贅沢な生活を維持するためにさまざまな不当な税金をかけるようなことが起こった。ルターはそうしたローマ教会に疑問を持ちまして1517年に「95か条の論題」を発表し、免罪符に販売による罪の救済の批判、形式や制度よりも信仰の源として聖書を何ものよりも重視することを訴えた。これが大反響を呼び起こした。

 

特にルターを支持したのがドイツの封建諸侯たちである。国王による中央集権体制が強化されてローマ教皇の支配を脱しつつあったイギリスやフランスとちがい、分裂状態が続いてたドイツはローマ教皇からの介入も激しく、諸侯たちは多くの富を収奪されており、諸侯や都市民たちはローマ教会に対して不満を持っていた。

 

ルターは、1521年のウォルムス帝国議会において、神聖ローマ皇帝カール5世から事実上宣告を受けたため、彼の支持者だったザクセン選定侯フリードリッヒに保護され、生き延び、その後も精力的な活動を続けることになる。


そして、この時期にグーテンベルクの活版印刷という新メディアが発明され、このおかげでルターの本が広くドイツ人に影響を与えた。活版印刷がなかったから、おそらく宗教革命もなかっただろう。今日において、ソーシャルネットサービスを利用したエジプト革命に近いものがある。

 

また、当時の聖書は、ラテン語というヨーロッパ全体の普遍言語でしか書いてはいけない「翻訳禁止」令があったのですが、ルターはラテン語から俗語に訳し、それを活版印刷によって広く民衆たちが自分たちの目で聖書を読めるようになったのです。