世界史13 十字軍遠征

宗教的情熱と戦争の融合



イスラム教徒のセルジュク=トルコが勢力を拡大し、当時、ビザンツ帝国領土だったエルサレムが奪還される。このときビザンツ帝国皇帝が、西のローマ教皇にエルサレム救援を要請した。


1095年、救援要請に応えたローマ教皇ウルバヌス2世は、集まったヨーロッパ各地の諸侯たちにビザンツ救援と聖地エルサレム奪還のための遠征軍を呼びかける。これをきっかけとして宗教的熱狂の中で十字軍がはじまる。前後7回、200年(1096~1270)にわたって企てられた。

 

この十字軍は、ヨーロッパ人にいわせれば「聖戦」かもしれませんが、イスラム教徒にいわせたら「残虐戦」にちがいない。なんの罪、とがもない老幼男女が、異教徒というだけの理由で、無惨に殺された。特に第一回十字軍は、悪鬼羅刹のごとく暴行のかぎりをつくした。しかも第一回十字軍だけがどうやらエルサレム回復とはいえるもので、あとの十字軍はほとんど無関係なことをやっている。


十字軍に同行したフランスの聖職者の残した資料である。


「イスラム教徒が、生きている間にそのいやらしい咽喉の中に呑みこんだ金貨を、腸から取り出そうと、屍の腹を裂いてしらべてまわり、また、同じ目的で屍を山と積み上げ、これに火をつけて灰になるまで焼き、もっと簡単に金貨をみつけようとした。」

 

十字軍兵士は、宗教的情熱だけではなくて、金銭欲も激しかった。

 

キリスト教は、ときおりこうした発狂的な行動をする。ユダが同胞のイエスを売り渡した昔から、16、17世紀の宗教戦争まで、ナチス・ドイツの大虐殺から、アメリカのイラク戦争まで、過去何世紀にもわたって形をかえて十字軍意識がおこり、ひとを駆って狂信と殺戮に走らせる。


こういう虐殺を十字軍兵士は、少しも悪いことと思っていないだけではなく、たくさん殺せば殺すほど素晴らしいと思っている節がある。宗教的熱狂と戦争が合体すると不気味なことになる典型的な例である。残虐な事件というものは権威を悪用して「大義名分」を得て、自分の行為を正当化したときに行われる。このときの教皇の免罪符宣言や殺人を正当化する思想こそ、十字軍兵士が何のためらいものなくイスラム教徒を虐殺できた一番の理由ではないかと思われる。


ほかに、十字軍遠征のねらいとして、内政的問題の解決もある。これも重要である。当時のヨーロッパを覆っていた貧困による争いや殺伐とした雰囲気を鎮めるために、外に目を向けさせて「聖地奪還」という目標の元に人々の心をまとめようという思想だ。この外に目を向けさせて内部混乱を鎮める手法は、現代でもさまざまな場所で使わている。たとえば、中国では経済成長が鈍化して、国民の不満がたまってくると、日本や周辺諸国を威嚇してナショナリズムを高揚させ、国民のストレスを外部にそらす傾向がある。どこの国でも見られる問題である。


ほぼ200年にわたっておこなわれた十字軍だったが、最終的には聖地エルサレムを維持することはできず、ビザンツ帝国を救うという目的にもはずれてしまい、結局、何のためにやっているのかわからないものになって終わった。アメリカのイラク遠征にそっくりである。