内村鑑三「代表的日本人1 西郷隆盛」

敬天愛人


内村鑑三の著書「代表的日本人」では、最もキリストの精神に近い日本人を5人紹介している。その5人とは日蓮、中江藤樹、二宮尊徳、上杉鷹山、西郷隆盛だというのである。まずは西郷隆盛の章を要約してみよう。

要約


私どもの国が、四方を海や大陸で囲まれて、世界から隔離され閉じ込められていたことは、よかったのです。定められた時に先立ち、貪欲な連中が、たびたびわが国に侵入をたくらみましたが、日本は頑固に開国を拒み続けました。それはまったく自己防衛の本能からでた行為でありました。


やさしい父親ならだれでも、自分の子がまだ幼いのに「文明開化」に浴びさせようとして、世の中に放り出すような目にあわせないはずです。世界との交通が比較的開けていたインドは、やすやすとヨーロッパの餌食にされました。インカ帝国とモンテスマの平和な国が、世界からどんな目にあわされたか、おわかりでしょう。私どもの鎖国が非難されていますが、もし門を開けたなら、大勢のイギリスやスペインの軍人が押し寄せてくるでしょう!

 

1868年の日本の維新革命は、二つの明らかに異なる文明を代表する二つの民族が、たがいに立派な交際に入る、世界史上の一大転機を意味するものであります。「進歩的な西洋」は無秩序な進歩を抑制され、「保守的な東洋」は安逸な眠りから覚まされたときであったと思います。そのときから、もはや西洋人も東洋人もなく、同じ人道と正義のもとに存在する人間になります。

 

このように私どもの長い鎖国は終わりを告げようとしていました。中国とカリフォルニアとをほぼ同時に開いて世界の両端を結合するために、日本に開国の求められる時節が到来しました。日本では最後にして最大の封建政権、徳川政権が崩壊しようとしていました。

 

キリスト教信徒の提督ペリーが外から戸を叩いたのに応じて、内からは「敬天愛人」を奉じる勇敢で正直な将軍が答えました。その名を西郷隆盛といいます。


西郷隆盛は、若いころから陽明学に興味をひかれました。西郷の文章に見られるキリスト教的な感情は、すべて、陽明学の思想の証明であります。

 

陽明学とキリスト教との類似性については、これまでにも何度か指摘されました。そんなことを理由に陽明学は日本で禁止同然の目にあっていました。「これは陽明学にそっくりだ。帝国の崩壊を引き起こすものだ」。こう叫んだのは維新革命で名を馳せた長州の戦略家、高杉晋作であります。そのキリスト教に似た思想が、日本の再建にとっては重要な要素として求められるのでした。 


西郷は、今で言うテレパシーでしょうか、電波でしょうか、「天」の声を聞くことがよくありました。横尾忠則さんでいうアカシックレコードといってもよいでしょう。しかし、そのような「天」の声の訪れがなかったら、どうして西郷の文章や会話のなかで、あれほどしきりに「天」のことが語られるのでありましょうか。のろまで無口で無邪気な西郷は、自分の内なる心の世界にこもりがちでありましたが、そこに自己と全宇宙にまさる「存在」を見出し、それとのひそかな会話を交わしていたのだと信じます。たとえ今日のパリサイ人が、西郷を異教徒とののしり、未来の霊魂の行方を疑うことがあったとしてもかまわなかったのです!


経済のことに関しては、西郷はおそらく無能だったでしょう。内政については、木戸や大久保の方が精通しており、国家安定や平和的な安定をはかる仕事では、三条実美や岩倉具視の方が有能でした。それにもかかわらず、西郷なくして革命が可能であったかとなると疑問です。西郷に必要とされたのは、すべてを始動させる原動力であり、運動の方向を定める精神でありました。一度動き始め、進路さえきまれば、あとは比較的簡単な仕事であります。


西郷の「情のもろさ」は、西郷の最後の破滅に導きました。西郷が謀反人となって政府に刃向かったことは事実であります。彼の生来有した「情のもろさ」が、西郷を反乱者との結盟に向かわせた主要な理由であるのは、有力でしょう。


西郷ほど生活上の欲望がなかった人は、他にいないように思われます。西郷の月収が数百円(であったころ、必要とする分は15円で足り、残りは困っている友人ならだれにでも与えられました。住居はみすぼらしい建物で、一ヶ月の家賃は3円であったのです。その普段着は薩摩がすりで、幅広の木綿帯、足には大きな下駄を履くだけでした。 

 

西郷にはひとつの趣味がありました。それは犬の趣味でした。届けものはすべて受け取らず断っていましたが、ただ犬に関するものだけは、厚く感謝して受け取りました。犬のさまざまな色刷り、石版画、鉛筆によるスケッチ画は、いつも西郷を楽しませました。西郷の犬は、その生涯の友でありました。西郷は犬を伴って山中で過ごすことが度々ありました。 (『代表的日本人』 内村鑑三)