世界史12 ビザンツ帝国

異民族の西ヨーロッパ侵入を防ぐ防波堤



これまでカトリック教会とゲルマン民族で構成されたキリスト教西ヨーロッパ世界の成立と発展を説明したが、中世には、なお2つの文化圏があることを忘れてはいけない。


ひとつは、東ヨーロッパに厳然としてそびえた東ローマ(ビザンツ)帝国(のちのギリシア正教圏)、もうひとつは、サラセンすなわちイスラム世界である。西ヨーロッパ(カトリック)、東ローマ帝国(ギリシア正教)、イスラム帝国という3つの世界で中世は構成されている。

 

宗教別にすれば、したがって中世はキリスト教世界とイスラム世界との対立といえる。ローマ帝国が東西にわかれてから、西ローマは民族大移動の渦中で倒れたが、これに反して、ビザンツ帝国は一千年にわたって存続した。


ビザンツ帝国は、ユスティニアヌス帝(在位527~565)のころ最盛時を迎えたが、あとは7世紀にペルシアと戦って勝利したものの、衰退一方。イスラム世界に、アフリカ、スペイン、シリアなどを奪われる。11世紀にはノルマン人に南イタリアをとられる。こうしてビザンツ帝国は衰退していった。

 

このようにビザンツ帝国はふんだりけったりの末路だったとはいえ、以外に大きな歴史的な役割をはたしている。ビザンツ帝国の壁が、よちよち歩きで文明の低かった幼い西ヨーロッパ世界の健全な育成を助けてやったのである。


ビザンツ帝国はアジアとヨーロッパとの接点に位するため、しつこく侵入しようとしてくるペルシア・サラセン・トルコの防波堤になったのです。もしビザンツという壁がなかったら歴史はどうなっていたでだろうか。西ヨーロッパの幼子は無残に惨殺され、科学文明、資本主義、ルネサンス、そしてアメリカ大陸も発見されていなかっただろう。


またこうした地理上の位置から、ビザンツ帝国は、ギリシア=ヘレニズム文化の後継者をもって自任し、さしあたりスラブ族の開化につとめる。帝国が滅びてから、スラブ族の主人公であるロシアとなった