世界史11 イスラム帝国の拡大

「商業」と「宗教」が合体



イスラム帝国をきずいたマホメット(571~632)は、紅海海岸に近いメッカの町に、貧しい商人の子として生まれた。大人になって隊商のむれに身を投じ、諸方をめぐり歩くうちに、富裕な大商人がいる反面で民衆の悲惨な生活環境を見て、ユダヤ教やキリスト教に感化される。


40歳のとき、唯一最高神アッラーの啓示をうけ、神の予言者と称して、イスラムの一神教、ある点ではユダヤ教やキリスト教よりさらにきびしい一神教を確立する。一神教の宗教は世界で3つだけである。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教。また、イスラム教の神様は、ユダヤ教が信じている神様「ヤーヴェ」と同じである。イスラム教はユダヤ教から分離した宗教であり、キリスト教と親戚にあたる。「アッラー」とは神様の名前ではなく「神」という一般名詞であることに注意したい。


イスラム教が、キリスト教や仏教などほかの宗教に比べて地中海全域にすみやかに拡大できたは理由がある。実はアラブ人が商業民族だったことが原因である。当時のキリスト教のように、征服地の異民族を剣で威嚇して改宗をせまったりせず、人頭税さえ納めれば、だれかれの境なく寛大に取り扱っていたからです。実はイスラム教は商人根性丸出しの宗教だった。


イスラム教の商業肯定の姿勢は「コーラン」の中にも見られる。イスラム教の考え方では、商業活動による富の獲得と生活の安定は、正しい信仰生活を送る上での基礎になるというものだが、これは本来のキリスト教、儒教、仏教にはない発想である。ユダヤ教や宗教改革以後のキリスト教にはある。


また、砂漠のアラブ人は、ヨーロッパのような農業耕地がないわけで、商業交易以外に生計の道がたたなかったのが商業を肯定する理由でもある。そして、イスラム教圏の拡大は、イスラム商人に莫大な利益をもたらした。逆にいうとイスラム商人の活躍が期せずしてイスラム教の宣伝になった。「商業」と「宗教」とが、かれらにおけるほど幸福な蜜月を送りえた例は、ユダヤ教やプロテスタントにそっくりである。


地中海を独占したイスラム帝国は東西文化の中継地点となり、バグダード、コルドバ、カイロの三首都は大いにさかええる。学問の発達がすばらしい。歴史、地理、神学、法学、文法学、医学、天文学などありとあらゆる学術が栄える。古代ギリシア・ローマの学問がイスラム帝国で復活する。アリストテレスをアラビア語に翻訳するといった離れ業を演した。


その一方、ヨーロッパで当時最大の人口をもつ王国の首都であったパリは、経済的にも文化的にもコルドバに比べれば辺境の地に過ぎなかった。ゲルマン人がおさめるヨーロッパは、イスラム帝国と比較すると学問も技術もおくれていて、田舎だった。そうしたなかで、古代のギリシア哲学がイスラム帝国で翻訳されてからヨーロッパに逆輸入されるといった珍現象もおこる。それほど、当時のヨーロッパの学問や文化は低かった。


しかしこんなに優秀だった学術が、ある段階でバッタリとまってしまった。商業民族の限界なのだろうか。なぜなら、知的探求は損得を度外視してこそ、「遊び」があってこそ本領を発揮するものだろうから。また、イスラム世界は科学に閉鎖的だっため、徐々に衰退した。そうするうちに、世界の権力や富はキリスト教ヨーロッパへ移行していった。