世界史8 ゲルマン民族の大移動

キリスト教とゲルマン人の固い絆



ローマ帝国はキリスト教を国教にして、内部統一をはかろうとしたものの、衰退の流れを止めることはできず、結局、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と西ローマ帝国に分裂してしまう。


ローマ帝国の衰退は、世界史のなかでも「古代史」が終了し、「中世」の新しい時代へ入ったことを意味している。中世の主役になるのがゲルマン人である。時代の転換の契機となったのがゲルマン民族の大移動。4世紀なかばに、アジアから移動してきたフン族を契機として、玉突きのようなかたちで押されるようにして、ヨーロッパの北東にいたゲルマン諸部族がヨーロッパ内部にどんどん進入してきた。


それは、メキシコや南アメリカのヒスパニックがアメリカにどんどん侵入してきたり、中東の戦乱の影響で亡命アラブ人がどんどんヨーロッパに移動してくる現象とにている。そのさなか、西ローマ帝国がゲルマン民族によって倒されてしまった。


さて、当時、西ローマ帝国領にあったローマ教会(今のヴァチカン)は、西ローマ帝国が滅ぼされたことで大変困った。もともとローマ教会の人事権は、ローマ皇帝にあったが、国が潰れてしまったことで、政治的なことを自分たちでしなければならなくなってしまった。また、東ローマ帝国にあるコンスタンティノープル教会とキリスト教の教義上の対立が生じ(聖像崇拝禁止問題など)、東ローマ帝国の反発を買い、制裁を加えられたため、財政難にも陥いった。ローマ教会の存続が色んな意味で危うくなった。


ローマ教会は、生き残りをかけ、当時ゲルマン人の国の中で勢力を拡大しつつあったフランク王国(今のフランスの前身)と接触をとるようになった。フランク王国に対して「経済力や軍事的な保護を求める交渉」を行いはじめた。最初は交渉に失敗したもの、ピピンに代わったときにチャンスが訪れた。


ローマ教会は、ピピンがフランク王国の王位を簒奪する大義名分を与えようと考えた。「君主としての実力があるなら簒奪も正当化される」という入れ知恵をする。大義名分を得たピピンは、下克上を行い、フランク王国の王位につくことになった。


800年、ローマ教会はピピンの次に君主の座についたカールに「皇帝の称号」を与えて戴冠式を行った。これでローマ教会(キリスト教)とゲルマン民族がかたい絆ができた。フランク王国はキリスト教の宗教的権威を、またローマ教会はフランク王国の軍事的、経済的援助を後ろ盾として、「ウィンウィンな関係」になった。これによって、ローマ教会は、政治的危機を脱しただけでなく、フランク王国の保護と経済力を後ろ盾にして、ヨーロッパ中にキリスト教の布教ができるようになったのである。