16.ジャック・アタリ「ノマディスム」

ジャック・アタリ / Jacques Attali

ノマディスム


概要


ジャック・アタリ(1943年11月1日生まれ)はフランスの経済学者、著述家、アドバイザー、未来学者、音楽家。


ミッテラン前大統領のアドバイザーや「ヨーロッパ復興開発銀行」の初代総裁、非営利組織「プラネット・ファイナンス」創立、フランス経済成長自由委員の委員長などを努めるほかにコンサルタント会社「A&A」の創立者であり会長でもある。これまで小説やエッセイを含め50冊以上の本を出版しており、2008年の金融危機を予言した「21世紀の歴史」は世界中でベストセラーとなった。


「フォーリン・ポリシー」の誌の特集「世界の思想家トップ100」にランクイン。サルコジ前大統領時代に大統領諮問委員会を主導し、フランスの官僚を削減し、自由市場改革を進めることで、フランス経済の成長を促進させる制作助言を行った。


現在のオランド政権でも、これまでに提言してきたさまざまな施策が政策として採用され、自身が大統領に紹介した人物が閣僚に起用されており、フランス政治を支えており、ヨーロッパ財政界絶大な発言を持ち、「フランスの真の大統領」と言われる評価を得ている。


アタリは音楽好きでも知られる。自身でピアノの演奏をしたり、歌手のバーバラのために作詞をしたこともある。社会の発展における音楽の重要性や音楽の経済を論じた本「ノイズ―― 音楽/貨幣/雑音」の作者でもある。グルノーブル大学のオーケストラの指揮などもしている。


1982年に出版した「時間の歴史」盗用疑惑がもちあがる。教会時間と商人時間という考え方は、アナール派の泰斗ジャック・ル・ゴフの思想で、またドイツのエルンスト・ユンガーの作品「砂時計」からの盗用が指摘される。

著作解説


21世紀の歴史
21世紀の歴史

略歴


若齢期


ジャック・アタリは1943年11月1日、アルジェリアのユダヤ人家庭で、双子の兄弟の兄として生まれた。弟はバーナード・アタリ。アタリの父シモン・アタリは孤児として育ち独学で勉強しアルジェリアで香料の商売で成功。


母フェルナンデの命令で猛勉強させられ、幼い頃から非凡な才能を示す。1956年、アルジェリア独立戦争(1954−1962)が始まって2年後に、家族はパリに移住することを決めた。当時のアタリは13歳だった。


ジャックとバーナードはリス・ジャンサン・デ・セリに入学し、そこでのちに政治家となるジャン=ルイ・ビアンコやローラン・ファビウスと出会う。1966年にジャックはフランスの理工系エリート養成のための高等教育機関「エコール・ポリテクニーク」を首席で卒業、その後、同じく理工系エリート教育機関「パリ国立高等鉱業学校」、社会科学系研究機関「パリ政治学院」、そしてフランス随一のエリート官僚養成学校「フランス国立行政学院」をトップクラスで卒業。経済学の博士号を取得する。

ミッテランのアドバイザー


フランソワ・ミッテラン
フランソワ・ミッテラン

1966年、フランスの地方でインターンシップを行っていたときにアタリは、フランソワ・ミッテランにサン・タンドレ・ザールのキャバレー「ラ・トゥール・マンダリーヌ」で初めて出会う。


ミッテランに認められたアタリは、ミッテランの選挙区パリの小さな町ニエーブルの助役となり、政治デビューを果たす。当時のミッテランの周りには、ジャック・ラング、レジス・ドブレ、ロラン・ファビウスなどが集っていた。


1970年、アタリが27歳のときにフランス国務院のメンバーとなる。1973年には初著作「政治の経済分析」、次いで1974年に「政治モデル」を出版し、科学アカデミーから賞賛される。


その後は毎年のように出版活動を行う、アタリの名前を有名にしたのは「情熱とエネルギーの科学ー言葉と道具」で、これは1973年の石油ショック後の世界経済が、長期停滞に入るということを予言した書物だった。


1973年12月にミッテランとの親密な政治活動が始まり、1974年と1981年の大統領選挙ではミッテランの応援活動を行う。この頃からアタリはミッテランのアドバイザーとして認識されるようになる。この頃に、レイモンド・バール、ジャック・ドロール、フィリップ・セガン、ジャック=リュック・ラガルデール、アントワーヌ・リブー、ミシェル・セールなどが知人となる。また、アタリはミッテランに対し、ジャン=ルイ・ビアンコやアラン・バブラルなどフランス国立行政学院の若い有望な卒業生を登用するよう助言を行った。


1981年にミッテラン政権が成立すると、大統領特別補佐官になり、以後10年、正式にミッテランの片腕として働く。