世界史6 独裁化するローマ帝国

政治的混乱から独裁体制への移行



ローマ帝国は、紀元2世紀の「五賢帝」に最盛期を迎え、その後は徐々に衰退の兆しを見せ始める。ローマの繁栄は、戦争によって得られた植民地と奴隷にもとづいたものだったが、次第に対外政策がゆきづまり、植民地と奴隷がえられなくなった。

 

すると、経済全体もゆきづまってきた。また、外からはその富や温暖な地中海の気候を目指してやってくるゲルマン人の侵入に悩まされていた。これは現代でいえばアメリカにおけるヒスパニックな流入、北アフリカ諸国からのイスラム教徒のヨーロッパ流入などがよく似た事象といえる。ローマの国境警備費用は、徐々に膨大な額に達した。そうして、皇帝が次々と変わって権力が安定しない「軍人皇帝時代」が50年ほど続いた。50年間に即位した皇帝は26人。平均在位年数は2年。


そんな政治経済の混乱の、3世紀後半、新しく帝位についたディオクレティアヌス帝(在位284~305)は、それまでの「市民の声の第一人者としての皇帝」を「専制君主としての皇帝」という位置づけに変更した。いわゆる独裁である。皇帝の権威と権力を強化して、スムーズに政治を進めていこうとする方針で、ディオクレティアヌスは、自分のことを「主にして神」と呼ばせたり、会議の時には顧問官たちを立たせたままで座るのを許さなかった。


この「皇帝崇拝の要求」、現代においても「独裁の要求」は、国力を失っていてトップが次々と変わって権力や政治や経済が安定しないときに、特に起こりやすい。大恐慌下におけるナチス・ドイツの躍進などが代表的な例といえる。ディオクレティアヌス帝のころがまさにローマにとって、軍事力の暴走や経済危機なにどで国力が低下し、国家の求心力が失われようとしていた状態だった。

 

皇帝崇拝によって求心力を高めて、国家の分裂を防ごうするのだから、当然、ほかの宗教や思想に対して態度が厳しくなった。ナショナリズムの高揚が始まった。特筆事項として、ローマ帝国内で一大勢力になっていたキリスト教に大迫害を加えたことが挙げられる。

 

このころローマ帝国の新興宗教であったキリスト教の勢力が、ローマ領内で増大しはじめていた。キリスト教徒のなかには、「神として崇拝するのはイエス・キリストに対してのみ」という考えがあったために皇帝崇拝を拒否する傾向があったため、ローマ帝国にとっては厄介な思想だった。