世界史5 ローマ帝国の統治

征服地に格差を与える分割統治



マケドニアがギリシア諸都市を滅ぼしたあと、ローマがその後継地となった。ローマ帝国の理想は、ユダヤ・ギリシアの理想と同じく、「物質的に裕福になること」「地上の未来が過去よりも素晴らしいものになる」という理想である。


ローマは、アテネがマケドニアに敗れたこと、まず自らがガリア人との敗戦から教訓を見出し、陸軍を大幅に強化した。そしてまもなく、ローマは西ヨーロッパ全域、北アフリカ、地中海支配を支配するようになり、北ヨーロッパやバルカン半島まで勢力を拡大した。

 

ローマ帝国の特徴の1つは、征服地に対する「寛容さ」といえる。この「寛容さ」というのはローマの場合は、敗者を同化させる方針で、イタリア民族だけでなく他民族も支配層に組み入れた。たとえ、他国を打ち負かして征服したとしても、その後、ローマから役人が派遣されて直接統治するというわけでなく、現地の君主に自治権を与えた。イタリア以外の都市にも次々と「ローマ市民権」を与えた。属州の一般市民でも運と才覚があれば官僚、将校、元老院議員になる道が開かれ、属州出身の元首(トラヤヌス)も登場した。これはアメリカの統治方法とまったく同じである。


また道路や水道などインフラ投資を積極的に行い、経済を活性化させた。「すべての道はローマに通ずる」と言われるように各地の街道を建設し整備して物資の流通を促進させ、税関の数を減らして完全を安く抑えて、さらに治安対策にも手を抜かなかった。


こうして「敗者」に対してなるべく不満を抱かせない統治を心がけていたのが特徴である。征服地をひたすら搾取して、属州民は悲惨な生活を送っていたという解釈もあるが、この解釈も一理ある。ローマが属州に過酷な仕打ちをした例はいくつもあり、中でもカルタゴを徹底的に破壊したことや、反乱を起こしたユダヤ地方を壊滅させ、エルサレム神殿に籠城したユダヤ教徒を虐殺したという史実が有名だと思われる。これはアメリカと中東諸国の関係と似ている。


いくら寛容さを心がけていたと言っても、反乱という行為には徹底的に厳罰で望むという姿勢がないと秩序は保てず統治はできなくなるからである。その意味で、ローマ人は、何でも許そうとする思慮のない寛容さではなく、状況に応じて峻厳さを使い分ける柔軟性を踏まえた上での寛容さだったのではないかといわれる。


また、イタリア半島を征服したいとき、被征服民の権利に格差もつけていた。例えばローマがある都市、仮にA市とし、A市を降伏させると条約を結びローマの同盟国とする。A市は自治を認められ、ローマに対して納税の義務はない。ただし、ローマがどこかと戦争をするときは兵隊を出す義務がある。アメリカと日本の関係のようなものである。


これらは、征服地に権利の格差を与えることで、かれらが結束してローマに反抗する憂いを取り除こうとした、心憎い巧妙なやり方といわれる。