15.父性「規律性」

父性 / Paternity (law)

規律性・社会性・方向性


概要


父性とは、子育てにおいて、父親に期待される資質のこと。子供を社会化していくように作動する能力と機能である。


母性とは異なる質の能力と機能とをいうことが多い。母性が子供の欲求を受け止め満たして子供を包み込んでいくことを指すのに対して、父性というのは子供に忍耐・規範(社会的ルールや道徳)を教え、子供を責任主体として振るまうようにし、人生において理想や方向性を示すものである。

組織力


父性にとってなによりも大切な能力は、「まとめあげる力」である。まとめあげる力とは、家族を統合する力のことである。家族がバラバラになってしまわないためには、父親が中心にいて、原理・原則を示すことが必要である。


父親がしっかりした価値観を持ち、中心となる原理を示すならば、その家族は父親を中心にしっかりとまとまることができる。逆に父親が中心としての価値観を示すことができないと、その家族はバラバラになってしまい、それぞれが勝手に自分の欲望を満足させるために家という設備を利用しているだけの、いわゆる「ホテル家族」になってしまう。

 

まとめるあげる力は、構成力と密接な関係を持っている。つまり構成力とは「異なった所要素を意味ある全体へとまとめあげる力」であるから、構成力のない父親は当然、家族をまとめあげる力もないわけである。「異なった諸要素」とは家族の各メンバーの欲求や感情、希望や目標である。父親はそれらが互いに競合しあうことなく、協力しあうように調整し、それぞれを全体としての価値観の中に包摂するように心を配る


父親が構成力を持つためには、父親自身が自分自身の中で中心を持ち、それを基礎にして人格全体がしっかりと組み立てられていなければならない。いわば父親自身がしっかりとした父性を持っていなければならないのである。

秩序


自分の心身や生活を秩序化するということは、人生を生きぬいていく上でたいへん重要な能力である。この能力がないと、人生の目標に向かって自分の生活を組織化したり、計画的に努力することができなくなり、少しの困難に出会っただけで簡単に降参してしまったり、つまらないことですぐに挫折してしまう。


父親が秩序を強く指向する人だと、子どもも秩序を重んずる人間に育つ傾向がある。反対に父親が秩序を否定して生きている人間だと、子どもはどの秩序がいいか悪いかという以前に、秩序そのものを否定したり、どきにはどんな秩序も形成することができない人格に育ってしまう。父親の人格しだいで、子どもの秩序元型がどのように具体化されるかが決まってくる。父親が何に価値を置いているか、何を重んじているかによって、子どもの秩序感覚が異なってくるのである。

 

最も大切なことは、何らかの秩序を確立することによって、秩序感覚そのものが育つことである。世の中には何らかの秩序が必要であるという感覚、何らかのルールが必要であるという感覚。これを育てることこそ重要である。


子どもに箱庭を作らせてみる。箱庭とは、底の浅い箱の中に砂が入っていて、その砂で山や川の力をつくって、そこにミニチュアの人形や動物、家や木や花や車などを置いて、自分の好きな情景をつくるという、一種の遊戯方法である。女の子だと家具などを使って部屋の様子をつくったり、自分の家のある風景をつくったり、男の子だと英雄が怪獣をやっつけるなどという物語をつくったりする。つまりなにかテーマのある作品をつくるのが普通である。


ところが、定職がなく家でゴロゴロしていて、趣味の好きなことだけやっている。気分次第で子どもに優しく接したかと思うと、次の瞬間には突然怒鳴りだす。夜になると、自分の見たいテレビを勝手に見ていて、どんな内容のものでも、子どもが一緒に見ていれば好きなだけ見させておく。母親「暴力や性的なものを喜んで見せては困ります」とでも言おうものなら、「いいだろう、なぜいけないんだ」と怒り出し、それ以上言うと暴力をふるう。母親が「もう寝る時間よ」といっても、父親がテレビを見ていてもいいという態度なので、子どもはいうことをきかない。


掃除・整理整とんをしない、怒る基準がわからない、親自らが進んで早く寝ない、親自らが朝遅くまで寝ていて仕事に遅刻する、セックス&バイオレンスを家の中で子ども一緒に楽しむ。このような、秩序感覚にかける親に育てられた子は、なにかテーマのあるものをつくるのではなく、ミニチュアの置いてある棚から、自分の好きなものを持ってきて、ただ無秩序に置くだけである。箱庭のテーマは「自分の好きなもの(快楽原則)」だけで、そこには秩序もテーマもなく、混沌たる世界(カオス)になってしまう。


この子が構成力を身につけることができなかったのは、父親に構成力がなかったからである。一定の正しい秩序によってまとめあげていく力というものが、親にはまったくなかったのである。

性の分化


父は男の子を男性にし、女の子を女性にするという働きかけ、つまり「性の分化」が母よりも強い。これは父親の重要な側面である。男女は違いがあるからこそ、意味があるのである。つまり良い意味での「男らしさ」や「女らしさ」は必要なのである。


たしかに、男女の差異をもとにして、男性のほうを価値が上だとして、差別として固定化してきたのが父権制であり、差別に反対するフェミニストが差異そのものに反対したくなる気持ちは分からないではないが、差異そのものに反対するのは行き過ぎというものである。男女の差異がないと人類はなりたっておらず、別の生物なのである。

 

このように男女には差異があるが、その男女の心理的な相違を顕在化させ、具体化にするのが、父親の存在である。


息子の場合には父を理想とし、父と同じように立派になりたいと思い、父を目標にして自我を形成しようとする。父があまりに権威主義的で強圧的であったり、尊敬に値しないほどに弱かったりだらしなかったりすると、息子は他に理想を求めて、宗教家や思想家、歴史上の偉大な人物の中に自我形成の手本を発見しようとする。父が弱すぎる場合は、簡単に屈服してしまう。

 

男の子は、小学生後半から中学生のころに男性性に目覚めてきて、どちらが上かを競うようになる。男性性に目覚めてくると、他人からは「生意気だ」と受け取られるものである。ある男の子は、そうした「生意気」ないじめにあうことになるが、父親がだらしない場合は、簡単に屈服してしまうのである。一度屈服すると、つねにいじめの対象にされつづけ、対人恐怖症と強迫神経症の症状が出るようになる。


逆に父親が、社会的に立派すぎるのも困るのである。頭がよくて東大卒、スポーツなんでもできる、社会的にも活躍している有名人である。息子は父のように憧れ、努力してきたが、高校の時に惨めな点をとって一挙に落ち込んで、気力もなくなり、成績はますます落ち、家で寝てばかりいるようになった。しかし、父親からの圧迫感が強く、とうとう父親を刺し殺してしまった。彼の場合には、立派過ぎる父の重圧に押しつぶされてしまったのである。


娘の場合には、父は最初の異性として、その愛を勝ち取りたい存在であり、またそのために娘は父の気に入るような女性になろうとする。いわば父の好みの女性像が娘の人格形成に大きな影響を与える。父親が娘に対して無意識に影響をおよぼすことは、非常に頻繁に見られるケースである。というより、程度の差こそあれ、父親は無意識は必ず娘に作用していると言っても過言ではない。


父親が家の中でテレビや雑誌などのエロス的な女性を見かけていつも喜んでいると、娘は父の気に入るような女性になろうと無意識に男性に対するときにいつもコケットリーになり、エロスを表面に出すような女性になっていくことが多いのである。性的に早熟そうに見えるので、男性に誘われる機会が多くなり、実際に関係ができたことも何回かあった。彼女は、父親の女性像に影響を受けたため、いつも男性と人格的に対等に付き合うことができず、性的な付き合いしかできなかった


また意外に多いのが、娘が少年化してしまう例である。父親が娘を男の子ように扱い、男の子に教えるようなことを教え、母とのつながりを邪魔し、自分のほうに引きつけて、自分の子分のようにしてしまう。こういうケースは、父親が男の子を望んでいて女の子が生まれてしまったという場合によく見られる。


娘は、父の悪影響を免れるためには、母とも付き合う事が大切である。母という現実の女性と付き合うことによって、父の理想の女性から醒め、偏りをなくすというプロセスが必要になる。父は娘との適度な距離を保つのが望ましい。この2つの娘の例は、父が娘とあまりにも密着しすぎたために、娘の女性化に適度な刺激を与えることができなくなってしまったのである。