03.ユダヤ教「未来を発明した人々」

ユダヤ教 / Judaism

未来を発明した人々


概要


ユダヤ教は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。


ユダヤ教はほかの宗教と異なるのは、信仰、教義そのもの以上に、行為・行動の実践と学究を重視する態度である。

 

ユダヤ人は「未来」という言葉を発明した。このとき同時に「預言」という方法が発生し、また「契約」という言葉が発明された。ヤーヴェとユダヤ人との間で「契約」が結ばれた。それは未来においてユダヤ人に「イスラエル」という国を保証する「約束」である。この未来の哲学は、のちにキリスト教にも受け継がれていく。日本では浄土教が仏教史上はじめて未来を発明した宗派であり、最もとキリスト教に近い宗派である。

 

ユダヤ教の聖典は『タナハ』といわれるもので、これはキリスト教の『旧約聖書』と同じものである。タナハのほかにタルムードをはじめとしたラビ文学も重視される。

ユダヤ教の特徴


言葉の宗教


ユダヤ人の重要さは、彼らが1つの書物を生み出したという事実である。


その書物というのは1つの世界歴史であり、法律や年代記や精歌の集成であり、金言や詩や物語の書であり、政治的言論集であって、これらはついに、キリスト教徒の間に旧約聖書すなわちヘブライ聖書として知られているものとなった。

 

この重要な書物は、紀元前4世紀または5世紀に歴史に現れた。どのようにして現れたのか?これは国家消滅の危機感から生まれたものといっていい。イスラエルの民は、北のイスラエル王国と南のユダ王国にわかれたあと、イスラエル王国はアッシリアに攻められて滅ぼされてしまった。

 

これを見ていた南のユダ王国は危機感を持つ。うかうかしていて外国に攻められると、民族は雲散霧消してしまう。もし国家が消滅しても、民族的アイデンティティが維持できるにはどうすればいいのか。そこで彼らは自分たちの習慣や民俗を「律法化」することにした。

 

もしも日本がどこかの国に占領されて、みながニューヨークみたいなところに拉致されたとする。百年たっても子孫が、日本人のままでいるにはどうしたらいいか。それには、日本人の風俗習慣を、なるべくたくさん列挙して、それを法律化してしまえばいいという発想である。

 

正月にはお雑煮を食べなさい、夏には浴衣をきて、花火大会に見物にいききなさい。日本人には考えられないですが、このような、生活習慣を法律化してしまったのがユダヤ教なのです。しかしそのおかげで、国家消滅して、百年経っても、千年たってもユダヤ人は、ユダヤ人のままでいられることができた。

 

彼らはすべて、聖書によって、そして聖書を読むことによって、団結していた。エルサレムは最初から名目上の首都にすぎなかった。つまり彼らの真の首都は「土地」ではなく「言葉」であった。こうしたことは新しい歴史的現象である。ユダヤ人たは、国王もなく、寺院や偶像や美術ももたず、ほかならぬ書かれた言葉の力によって統合された民族だったのです。


土着民との確執


砂漠という環境のなかで、戦いを通じて形成されたユダヤ人は、いくつかの顕著な特質を与えた。


定住民の宗教への嫌悪」「偶像の否定」「セックスのタブーの強調」


このうち排他的性格について、その相手は主としてカナンに定着していた農民たちの宗教だった。農耕民族の宗教の特質は豊作への祈願にある。カナンの土着民は、バールという名の神を崇拝し、豊作を祈って酒をのみ、踊り狂って男女乱交を広くおこなっていた。

 

男女乱交は砂漠の宗教には未知の不可解の行事である。男女の乱交は、必然に親族同士の相姦をまねく。砂漠をわたりあるく遊牧民の群れは、族長を頂点とする大家族の集団だから、近親相姦を許すことは、自分たちの集団の体制そのものに、混乱を導くことになる。

 

また最大の要因は、砂漠は農耕地の場合よりもはるかに、食糧が限られていて、その養いうる人口に限度があることである。たとえばモーゼがさまよったシナイ半島は、いまでも5000人の放牧民にしか、水と草とを供給できないかったといわれる。したがって繁殖神などを崇拝してやたらに子どもをつくられたのでは、困るのである。

 

ユダヤ教は、偶像をもつことを禁じていた。偶像は人形がそれぞれの土地の特色をもっているように、土地の風習とそれぞれつながっている。もし偶像を許せば、各部族はそれぞれの地域と結びついた像を勝手にもつようになり、ユダヤ教は統一性を失われしまうからである。偶像の禁止は、ユダヤ連合体を打って一丸とするために、また既成の宗教の影響を拒否するために、必然の処置だった。

 

「旧約聖書」は、バール農耕神への、砂漠の神による戦いの書である、ということができまる。砂漠という環境から、しかも民族統一のための戦いを経て生まれたことによるいくつかの特性は、キリスト教のなかにも流れこんでゆくのです。