01.梅棹忠夫「文化未来学」

梅棹忠夫 / Tadao Umesao

身体を動して、自分の目で見て、頭を使う


概要


梅棹忠夫(1920年6月13日-2010年7月3日)は日本の人類学者。京都大学教授。大阪国立民族博物館の創設者。梅棹の膨大な論文は人類学者に影響を与え、彼の著作は日本の一般大衆にも広く読まれている。

 

研究のルーツは山からはじまり、探検にあるという。昆虫を追い、植物を採集し、国内外の山を歩き、学術研究を行う。この体験が「自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の頭で考え」そして、成果を出すという梅棹学問の源となった。

 

1970年ごろ文化未来学を提唱し、河出書房の世界史シリーズで、シリーズ最終巻「人類の未来」を書く予定だったが、ついに完成させられなかった。

略歴


若齢期


梅棹忠夫は、1920年に日本の京都で、父の梅棹菊次郎と母エイとの間に長男として生まれた。


12歳の頃に博物同好会に入り、合宿の山岳で山の魅力にとりつかれるようになる。15歳のときに京都帝国大学白頭山遠征隊の講演および記録映画に感動し、探検の道をあゆもうと決意。


1943年に京都大学理学部を卒業。初期は動物生態学を専攻していたが、1944年から1946年までモンゴルのステップ地帯におけるノマドとともにフィルドワークを続けたのをきっかけに、梅棹の関心は動物から人間へと移行していった。

文明の生態史観


1955年に梅棹はアフガニスタン、パキスタン、インドを旅行して、「西洋」と「東洋」という従来からある二元的なカテゴリ分類が破壊され、中東の概念に感激する。

 

このときの影響が1957年に発表した「文明の生態史観序説」の基盤となり、1967年に「文明の生態史観」を刊行する。

 

彼の著作において、ユーラシア大陸を大きく「日本」「乾燥地帯」「西ヨーロッパ」と大きく3つに分類し、日本と西ヨーロッパとには、皇族を中心とした類似した封建社会史が存在していることを論じ、日本を中国やインドなどの東洋の一部としてカテゴリ分類することを批判、歴史家や人類学者に大きな影響を及ぼした。

 

●第一の型「イギリス、フランス、ドイツ、日本」

変革をしても以前との生活態度や生活様式の差は小さい。それは、内部からの成長にともなう脱皮のようなもの。具体的には、封建制度のもとに育成されたブルジョアが、支配権を握ることによって、資本主義による文明の建設に変化する。脱皮型は、過去の伝統の温存がある。

 

●第二の型「中国、ロシア、トルコ、インド」

変革はドラスティック。皇帝あるいは帝国主義的支配者はすべておはらい箱になり、新しい型の、強力な、愛国的独裁者が共同体を指導する。革命は、しばしば 陰惨な内戦あるいは分裂をともない、場合によると一度ではすまない。何回もの激震を繰り返しながら、過去を清算し、未来を切り開いていく。それは内部からの成長にともなう脱皮というより、外の世界から急速に迫ってくる圧力に対する、必死の適応であり、新生である

 

●第三の型「アメリカ」

彼らは伝統のない「新世界」を求める。かれらにとって抵抗とは旧世界の教養であり、新世界に入るには、ただ、旧世界から逃げ出せばよい。文明に対する態度の特徴は、あたらしい生活様式の可能性に対して無限の希望と信頼を抱きながら、しかも、旧世界の伝統に対してある種のコンプレックスをもっている。そこは、伝統に対して無知であると同時に、意外に伝統的保存な地域である。

 

グローバル文化と民族文化の並存


現在の人類文化には、人間が目的をもってつくり出した「人類文化」と、意志的に作り上げようとしてできたのではなくて、環境から自然にそうなってできた「民族文化」がある。


人類文化とは、非常にはっきりした目的があって作り出されたのもので、例をあげると科学技術や宇宙開発だ。これは明らかに人間が目的をもってつくり出したもので、こういうものは人間文化の発達のある段階以後の現象であると思われる。言語であれば、人工言語のエスペラント語である。

 

また、「人類文化」の特徴は、文明国と後進国とで多少はずれがあっても、「人間という種に共通」していなと具合が悪いことだ。「普遍性」が重要になる。

 

現在の人類は、目的的な「人類文化」と、所与としての自然的文化である「民族文化」の、中間の段階にいるといわれている。そのとき、過去からの圧力で、どこかへ流されて消失してしまう民族文化と、うまく対岸へ到達できるような民族文化があるかもしれない。

 

対策は、「民族文化」と「人類文化」をハイブリッド化して融合するよりも、分離・併存することである。これは可能である。たとえば、うちへ帰ったら裸になって、ふんどし1つになっていても(民族文化)、よそのみなさんがきたら、正装する(人類文化)ようなものだ。このような気持ちで文化に接するのが一番良いだろう。

 

最悪なのは、戦中みたいな国粋主義の民族文化に戻ろうとする動きである。日本文化は十分に尊重して、古文化財も保存しなければならない。これは賛成だ。しかし国粋主義はこまる。こういう固有の文化的伝統が、人間の将来の創造性という問題に対して、どれだけ力を貸してくれるはちょっと疑問だ。